北の赤犬子

ハイサイ!わんねー北海道うてぃウチナージーヌー(沖縄芸能)ぬ研究そーいびーん。ゆたさる…

北の赤犬子

ハイサイ!わんねー北海道うてぃウチナージーヌー(沖縄芸能)ぬ研究そーいびーん。ゆたさるぐとぅ、うにげーさびら♪

最近の記事

読谷山通ゆてぃ

「読谷山通ゆてぃ」という歌を聴いたことがあるだろうか? 山内昌春先生(1943-2022)の門下生で、糸満市に住む金城進行さんという方の歌だが、昌春先生がお弟子さんたちからも、いかに愛され慕われていたかが分かる一曲である。筆者自身お気に入りの一曲でもあるため、今回はこの歌について簡単に紹介していきたい。 歌詞紹介歌詞 歌詞の意味 解説この歌を作詞した金城進行さんは、山内昌春先生を慕って沖縄本島南端にある街・糸満市から、同島中部にある読谷村まで通い歌三線の稽古に励んだよ

    • 歌三線の始祖・赤犬子(あかいんこ)

      3月4日は「さんしんの日」さんしんの日は元琉球放送ラジオ局長でプロデューサーの上原直彦(1938-)によって提唱されたもので、1993(平成5)年から毎年この日にはRBCiラジオで「ゆかる日 まさる日 さんしんの日」と題した公開生放送を行っている。 2020(令和2)年の第28回以降は新型コロナウイルス感染症の影響によりオンライン配信のみでの開催が続いていたが、第31回を数えた今年は4年ぶりに琉球放送会館に会場を設けての放送となった。 もちろん当日会場へ足を運べない人でも

      • コザの老舗民謡クラブ・なんた浜のテーマソング「なんた浜音頭」

        「なんた浜音頭」という歌をご存知だろうか?饒辺愛子氏のデビュー曲「なんた浜(作詞/宮良高夫・作曲/宮良長包)」とは別の歌であるが、コザ中の町にある老舗民謡クラブ「なんた浜」へ足を運んだことがある方なら一度は耳にしたことがあるはずである。 この「なんた浜音頭」は1989(平成元)年、民謡クラブ「なんた浜」の開店20周年を記念して、当時同店でステージ演奏を担当していた嘉手苅林次(嘉手苅林昌の次男)によって作られたものである。 現在でも「なんた浜」のステージでは、最初にこの歌が

        • 故・山内昌春先生を偲んで…

          突然の訃報昨年(令和4年)の3月5日、新型コロナウイルス感染症の影響で3回連続でリモート開催となった琉球放送主催「ゆかる日 まさる日 さんしんの日」の翌日に思いもよらぬ知らせが入った。 「山内昌春が死んだ」 それも時の流行り病に屈してしまったとのことである。信じられなかった。 1月に読谷村楚辺の民謡スナック「一番友小」閉店の知らせを聞いた際は、いよいよ一度もお邪魔できず残念に思ったものである。しかしその当時は「とても元気で、コロナ世が終わったら、あちこちに遊びに行きたい

        読谷山通ゆてぃ

          沖縄民謡に見る「戦世(イクサユー)ぬ哀(アワ)り」~沖縄慰霊の日に寄せて~

          本日6/23は沖縄慰霊の日。太平洋戦争下の日本における唯一の地上戦であった沖縄戦で、実に県民の4分の1が犠牲となったあの惨劇から75年の月日が経った。 ウチナーンチュ(沖縄の人々)は昔から嬉しい時も悲しい時も常に歌を歌ってきたため、沖縄戦の悲惨さを今に伝える歌も数多く残されている。 今回はそんな戦世(イクサユー=戦争の世)を経験した人々が歌った民謡12曲をもとに、その惨状と平和の尊さを読者諸氏と再確認していきたいと思う。 ①軍人節(ぐんじんぶし)作詞・作曲/普久原朝喜 歌/

          沖縄民謡に見る「戦世(イクサユー)ぬ哀(アワ)り」~沖縄慰霊の日に寄せて~

          沖縄叙情歌の真骨頂・ナークニーを考える

          突然だが、皆さんは『ナークニー』という曲名を聞いた事があるだろうか? 沖縄を代表する叙情歌の一つであるが、歌三線をやられている方にとっては「難しい歌」というイメージが強いかもしれない。その即興性に富んだ歌詞とメロディーの多様性が唄者をして「難しい」と言わしめる所以なのだろう。 今回はそんな不思議な魅力に満ちた歌『ナークニー』の秘密に迫っていきたい。 ナークニーの起源ナークニー自体は沖縄島内各地に存在し、地域ごとあるいは歌い手ごとに異なる趣を持つ歌として人々に親しまれている

          沖縄叙情歌の真骨頂・ナークニーを考える

          自己紹介

          御衆様(ぐすーよー)、初(はじ)みてぃ拝(うが)なびら!北の赤犬子(あかいんく)やいびーん。今日(ちゅー)や初みてぃぬ投稿やくとぅ、軽々とぅ御挨拶(ぐえーさち)うんぬきやびら。 皆さん、初めまして!北の赤犬子です。今日は初めての投稿なので、軽くご挨拶(自己紹介)を申し上げます。 私自身、実はウチナーンチュではなく、北海道出身であります。ただ、先祖のルーツが沖縄にあり、幼い頃から沖縄という土地にはある程度の関心を抱いておりました。 その後、中学2年の春に初めて沖縄を訪れた