文化を育てた喫茶店⁉画廊喫茶ブランカが育みたかったもの(後編)
大曲駅から徒歩5分、花火通り商店街を抜けたその先に、地域住民やアート愛好家に親しまれてきた場所があります。「画廊喫茶ブランカ」。
ブランカは、絵を描くための画材の販売、美術作品の展示を行うギャラリー、喫茶店を兼ね備えたお店として2002年にオープンしました。絵画教室や「ばんげパーティ」を開催するなど、文化に親しみ交友を広げる場所として利用されていましたが、2021年12月21日、常連客に見守られながら最後の営業を終えました。
前回は、店主の三浦尚子さんより、ブランカで重ねられてきた思い出深いエピソードとともに、その歩みを引き継いでオープンする「キタマルコ」への想いをお伺いしました。
その続編である今回は、ブランカを開店するに至った三浦さんの物語をご紹介します。
自分の夢だったからこそ、気づいたことがあった
―ブランカはお客様に愛されるお店であり、ここから文化に親しみを持つ方が増えていったんですね。こういったお店を開こうと思ったのは、どういったきっかけがあったのですか。
開店したのは、私が58歳のときのことです。
―58歳…!それは思い切った決断だったのではないですか。
そうなの。でもね、家族が背中を押してくれたんですよ。娘が結婚し、息子が就職してそれぞれ自立した頃に、娘から「お母さんは人生でやり残したことはないの」と尋ねられたんですよ。
―人生でやり残したこと、ですか。
娘なりに、私に対してなんとなく申し訳ない気持ちがあったようなのね。子どもたちを育てるためにがんばってきたけれど、私の興味や経験を活かしたやりたいことができていなかったのではないか・・・と。自分らしい生き方はできたのか、やり残したことはないのかと問われたんです。
―三浦さんはどんなお気持ちになったんですか。
思えば、私の小さい頃からの夢は、絵画に携わって生きていくことだったんです。これまで学んできたことを活かす仕事がしたかった。そんな話を娘としました。年齢的にもう遅いだろうとも思ったのだけれど、やらないで後悔するよりもやって後悔する方が良いと思ったんです。
-ブランカは三浦さんの長年の夢であり、「人生でやり残したこと」だったんですね。
私は、子どものころから絵が好きでね。大学は東京都にある美術大学に進学して油絵を学んできました。でも、入ったのは良いけれど、授業についていけなくてね。ぜんぜん描けなかった。それで、とあるご縁で洋画家の近岡善次郎先生に習いに行ったんです。近岡先生は山形県出身で、都内にお住まいでね。一水会(美術団体)の会員でした。
―プロの画家から学ばれたんですか。それはすごいことですね。
私も田舎から出ていって、言葉も田舎弁でしょう。近岡先生のご自宅にあるものも、初めて見たものばかりでね。先生の奥様が都会での生活も教えてくれて、本当にお世話になりました。
卒業後は地元で結婚し、子どもにも恵まれ、充実した日々を過ごしてきました。でもね、それまではずっと美術が身近にあったから、日々生活しているうちに、まちの中に画材を販売したり絵を飾って発表したりする場所がないことが気になるようになったんです。「困っている人がいるんじゃないか」と思っていたの。
―「困っている人」ですか。
そうです。たとえば、自分の描いた絵を見てもらいたい人、発表の場を求めている人がいるはずだと思ったんです。それに、なにより私のように美術大学に行きたい学生さんもいるんじゃないかと思いました。美大に行くためには、デッサンや色彩構成など、受験のための知識や技術が必要なんですよ。でも、地元の高校には美術を専門に学んだ先生がいないという話も聞いていたので、美大に行きたくても学ぶ場所がないことに残念な想いがあったんです。
―美術が好きな人たちが、学んだり触れたり披露したりする場所がないと感じたんですね。
そうなんです。ずっとそう感じながら生活していたから、長女に「人生でやり残したこと」を問われたときに、気持ちが湧きあがってきてね。それで、ブランカを始めようと思いました。
地域に愛され、文化の拠点となるまで
―開店されたのは2002年でしたね。「ブランカを始めよう」と思い立ったとき、どんなお店を作ろうと考えたんですか。
初めから考えていたのは、作品を披露できるギャラリーに喫茶店を併設することでした。それと画材や額縁の販売コーナーを設けることと、絵画教室を開くこと。
―喫茶店にギャラリーがあるというのは、当時は目新しいことだったのではないですか。
私が近岡先生に学んでいたときに、喫茶店で個展をやらせてもらったことがあってね。その記憶があったから、私にとっては自然なことだったんですよ。
絵に関心がない人であっても、喫茶店には行くでしょう。腰を下ろしてお茶やコーヒーを飲んでいたときに、そこに素敵な絵画や音楽があったりしたら、「いいな」って関心を持つじゃない。ここに来たことで、絵が好きになったり音楽が好きになったりしてほしいのよ。
作家さんやもともと関心があった人にも、作品を見ながらゆっくり過ごせる場所であってほしいとも思っていました。
―喫茶店は美術への敷居を低くして、関心を持ってくれる方を増やしてくれるんですね。
―これまで絵を飾る場所がまちになかった状況の中で、ギャラリーに絵を飾りたいという方を探すことは大変なところからのスタートだっただろうなと想像します。
最初はね、大変でしたよ。でも、2年、3年と続けているうちに「展示したい」とおっしゃってくれる方が増えてきました。
―時間をかけながら、絵画に親しむということが地域の中に定着してきたんですね。
そういう意味では、ブランカでは長年、絵画教室も開催されていました。
絵画教室は週1回、午前の部と午後の部に分けて開催していて、ブランカを開店してから約20年間続けてきました。
―絵画にも様々な技法があると思いますが、ここではどんなことを学べたのですか。
水彩画、油絵、デッサンなど、参加される方に合わせて様々です。生徒さんも、初めて絵を描くという方から、もともと好きで描かれていた方、美大を受験したくて習いに来る学生さんまで、幅広くご参加くださいましたからね。小学生もいたし、80代の方もいたんですよ。みなさん、思い思いに描いていて、それぞれに合わせて先生が教えてくれる教室でした。
―とても幅広いですね。
そうなんです。だから、先生が個々人に対応できるように、生徒さんも1回あたり7人までの少人数制にしてね。技法や経験だけでなく、参加される方の年齢も様々だったので、年配の方からは「参加者同士の会話やお互いの描いた絵から、自分とは違う世代の感覚を知れることが面白い」と言われました。いろいろな方がいらしてくれてね。絵画教室を始めたときからブランカを閉店するまで、ずっと通ってくれた方もいるんですよ。
―そうだったんですね。絵画教室は、喫茶店と同様に、ブランカを利用される方たちが集える場所にもなっていたのだろうなと感じます。
そうなんですよ。おかげさまで常連のお客様や、お客様同士のつながりも増えてきてね。開店翌年の2003年からは、年2回、「ばんげパーティ」を開催するようになりました。「ばんげ」というのは、秋田弁で「夜」のこと。夜に、お客様が集って楽しく交流できるような機会としてね。歌声喫茶やコンサートなどを開いたんですよ。
―それは楽しそうですね。
ここまでお話を伺って、ブランカが文化への敷居を下げて関心の輪を広げながら、文化的なコミュニティの拠点になっていった様子が感じられました。同時に、三浦さんの地道な努力や様々なご苦労があったのだろうなとも。
美術を勉強してきて自分で描けなかったことは残念だけど、「絵が好きだった自分に気づけた」という方を増やすこと、額縁を通して作品をより一層光らせることに真剣に取り組んできた20年間でした。おかげさまで「ブランカでなければ」と言われるようにもなりました。
ブランカというお店の名前は「カサブランカ」という花が由来で、これはスペイン語で「casa=家」「blanca=白い」という言葉が合わさったものなんだそうです。「白いキャンバスに描きたくなるようなきっかけとなる場所になってほしい」という意味を込めてブランカという店名をつけました。
これまでここで時間を過ごしてくださった方々、そして絵画に興味を持ち学んでくださった方々にとって、このお店が心の片隅に残っていてくだされば大変嬉しく思います。そして、もしも皆さまの大切な人生の中で、彩りのひとつになっていてくだされば、こんなに幸せなことはありません。
ブランカは、まもなく「キタマルコ」として新しい歩みを始めることになります。これまでブランカをご利用くださった皆さまにも、これから出会うたくさんの方にも愛されるような場所として大曲のまちに根付いていってくれることを期待しています。
お店を閉じてから「行くところがなくて困ってしまった」とお話されるお客様もいるんですよ。私もその一人です。キタマルコが開店したら、友達と集まる場所としても使わせてもらいたいな思っているし、これからをとても楽しみにしています。
ここまで2回にわたり、ブランカ代表の三浦尚子さんのお話をご紹介しました。そんな三浦さんとブランカが紡いできた歴史を引き継ぎながら、「share space キタマルコ」が、いよいよ5月14日に開店を迎えます。これからも文化・表現活動の拠点として愛される場所になれるよう、取り組んでいきたいと思いますので、応援の程、どうぞよろしくお願い致します。
次回は、現在リノベーション工事が大詰めのキタマルコがどんな場所になるのかについて、ご紹介したいと思います。
掲載にあたり、お忙しい中、たくさんのお写真や資料をご提供くださり、貴重なお話をお聞かせくださいました三浦尚子さんに、この場を借りて改めて感謝を申し上げます。