喜ばれる喜び
今日、『親友』と呼べる数少ない友だちの1人に偶然会いました
お盆ということで、奥さんの実家に向かう途中、お昼ご飯を食べるために寄ったショッピングセンターでたまたま会いました
ご飯を食べた後、ゲームコーナーに寄りたいと言った息子に付き合って、ベンチに座っていたところでバッタリ会いました
彼は彼で、痛くなったお腹が我慢できず、トイレのためだけにその店に寄ったとのことでした
普段めったに行かない店で、連絡もほとんど取り合うこともない親友と、ほぼ1年ぶりに会いました
そういえばほぼ1年前に会ったときも、彼がたまたま近所の運動公園に遊びに来ていたときだったということを思い出しました
この手の驚きと感動は、当人同士にしか分からないとは思いますが、ホントにビックリしました
きっと彼とは、またどこかで偶然に、たまたま、バッタリ会うんだと思います
前回、そして今回のボクたちの再会の様子を見ていた神様は「今度はどうやってビックリさせてやろうかな」とニヤニヤしているはずです
これって、神様だけの話じゃないと思います
コンビニでたまたま見つけた新しい味のポテトチップスを買って職場に差し入れしたとき、想像以上に喜んでくれる同僚がいたらどう思いますか?
きっと喜んでくれている姿に喜びを感じ、「また喜ばせたい」って思うはずです
もしまた新しい味のポテトチップスを見つけたら、瞬間的にその同僚の喜ぶ顔が浮かび、買おうかどうか悩むことなくレジに持っていくはずです
それはやがてポテトチップスだけにとどまらず、美味しそうなものを見つけるたびにその同僚の喜ぶ顔がワンセットになって浮かんでくるはずです
この世に存在する動物の数は137万種以上とも言われていますが、その中で唯一ボクたち人間だけが持っていると言われているのが、『他人の喜びを自分の喜びとして感じられるチカラ(他喜力)』です
誰もが持っているこんな素敵なチカラを、ボクたちはもっと知っておいた方がいいし、できるだけ引き出すことができれば、世の中は喜びに包まれていくはずです
そのためにはどうしたらいいんでしょうか?
答えはシンプルです、嬉しいことがあったらちゃんと喜ぶだけです
「嬉しい」「楽しい」「幸せ」「美味しい」「気持ちいい」と思ったときに、それをちゃんと表現するだけでいいんだと思います
それが相手の喜びになり、そして次の喜びを引き寄せることになるなら、「恥ずかしい」とか「苦手だから」なんて言ってるのはもったいないと思います
『ちゃんと喜んでいますか?』
喜べば喜び事が喜んで
喜び集めて喜びに来る
喜ぶというのは、自己中心的でもわがままでもなく、むしろ相手を喜ばせる思いやりや気づかいであり、それができる人にどんどんと次の喜びがやってくるということを忘れずに過ごしたいです