
発信だけでは伝わらない
あるバレーボールの大会で審判をしていたときに、気になるチームがありました
そのチームは、試合中に監督が選手に向けて伝える指示の内容がとても短いんです
指導者の端くれとして、「あんな指示で本当に伝わってるのかなー」とすら思ったくらいです
そんなことを考えながら審判をしていたら、ものまねタレントのコロッケさんがあるテレビ番組で言っていた言葉をふと思い出しました
「僕のものまねは半分似てたらOK。もう半分は本人が似せてくれたらいい。」
テレビでこれを観たときは、他の出演者と同じように「何言ってんだー」って感じで笑ったのを覚えていますが、今思うとなかなか深い言葉だったような気がします
伝えたいことが伝わらなかったとき、ボクたちは「何で伝わらないんだろう?」「どうすれば伝わるんだろう?」と考えます
もちろんそれ自体はとても大切なことだと思います
「もっと丁寧に話せばよかったかな」
「書いて説明した方が分かりやすかったかな」
「1回だけじゃ伝わらないかな」
ただ、そんな風にさらにもっと何かをするという足し算のアプローチだけじゃなく、『何をしないか』という引き算のアプローチも選択肢の中に入れておくことも大切だと思います
たとえば、今までこちらから100%伝えていたことを50%にしてみる
受信側にも「どういうことなんだろう?」と考えてもらう場面や時間を与えてみる
初めのうちはすぐに答えが出ないかもしれないし、こちらが伝えたいことがきちんと伝わっていないこともあると思います
でもそういう場面や時間を作ることが、「こういうことかもしれない」という思考、さらには思いやりや気づかいにもつながっていくかもしれません
『受信する準備はできていますか?』
いつも電波のいいところにいるといつの間にかそれが当たり前になってしまい、「どうすればうまく受信できるかな」なんて考えることがなくなります
伝えたいことが本当に伝わるのは、発信50%・受信50%のバランスであり、その関係が築けているときなんだろうなと感じることのできた大会でした
追伸
こんなことばかり考えて審判してるわけじゃありません、いつもはきちんと試合に集中しています(笑)