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森村泰昌 M式「海の幸」ワタシガタリの神話(図録より)感想と表現の指向性

石橋財団美術館(ARTIZON MUSEUM)
2021年10月2日~2022年1月10日開催

人類の原初から、未来への循環を立ち表したような展覧会だった。

森村泰昌の仕事として。
明治浪漫主義絵画の青木繁(1911年、28歳没)とのきわどいコラボレーションといわれる。

ご存じの方が多いですが、森村泰昌は自らが「変身」(仮装・化粧などで誰にでも化ける事)して、作品を制作する事が有名ですね。
写真を中心として展開を図ったと思う。

そういう、原資となる「表現」を、この場合は「青木繁」と相互展開したときに、どんな人類的な効果が立ち現れるか興味深い空間だった。
僕にとって、参照すべき有用な展覧会の図録なんだ。

この展覧会には写真評論家の方と1度、その他の方とそれぞれ、観に行ったので都合、2回か、3回くらい観に行った。

そこで一貫して感じたのは、「人類は循環する」ということだった。

展覧会の最後の二枚のうち、一枚がここに掲載されているが、夕暮れか明け方かの海を背景に、「土偶(縄文文化)」と、脱ぎ捨てた「現代の象徴たる「服」」にそれを感じたのだ。

人類の性癖を見事に展開したんだろうか?と感じざるを得ないのだ。

そこには、その土偶が宇宙へ旅立った痕跡らしい一枚も、展覧会では並列に並んでいた。※解釈は自由なので、そう感じた。

そして、また次の循環社会に「土偶らしき何か」を作るのは「どの生命体だろうか?」という想像も立ち上がってきて、非常に楽しい展覧会だった。

そういう想像力を掻き立てる、よい展覧会だった。

それは、もはや写真家というより、写真家というものを、更新する表現者のふるまいだと感じた。

そういうことをしたいのだ。

他分野の交錯や融合、対話がなければ有効な価値提示は難しい時代になっていると感じている。つまり、現代の主流に対して「傍流たる必然性」は僕の中にも、自然に生まれてきたのだ。