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『冬のあと』

肌を刺す寒さを纏った風が容赦なく外を吹き荒れる暗闇の中、私はただ次の目的地へそそくさと車を走らせていた。時期は二月、陽は地平線へと帰りを急ぐ足を早め、夕刻過ぎれば忽ち帷を下ろしたかの如く暗く冷たい、それでいて全てを包んでくれる闇が空を覆う。幹線道路はただ黙々と自らの仕事を全うする歯車のように、足早に過ぎる車を淡々と送り出す。

ふと、助手席の彼女に目をやると、底の見えぬ冬の冷たさが心を覆った結露のように、彼女の頬は濡れていた。どこまでも深く暗い冬の宵闇に心を痛めてしまったかのように、彼女はさめざめと頬を濡らしていたので、私は思わず同情し、粗雑な気慰みのような言葉をかけた。

「なぁに泣いてるの、どうしたの。そんなに泣かないで、ね。大丈夫。」

幼く、無邪気な子供が、暖かく純粋な気持ちから涙を流す様にも似たものを感じた私は、彼女へ同情の念と言葉をかけると同時に、心のどこかでそれを俯瞰する自身への優越感や安堵といった形容し難い何かに満たされていた。
さめざめ頬を濡らす彼女。
アスファルトの上を卒なく進む無機質な音だけが鈍くこだまする車内。
雪山のような閑静さを上塗りする彼女を尻目に、私は車を走らせ続けた。

あれから二年が経つ。あの名もなき一刻を、雪音一つ立てぬ寂れた冬の部屋の中で独り振り返る。あの時、私は彼女が、得意げに人を宥めるかの如く同情の言葉の一つもかけてやらんばかりの私と、行き場を失くし徐々に温もりを奪われていく切実な想いの乖離の中で涙を流しているものだと思い込んでいた。
そう、あの時の私には知る由もなかった。彼女が独り、私ではなく、親鳥が子になすように必死に温め守ってきた想いの死を、他ならぬ自分自身で受け入れようとしていたことを。

遠い日の、古びた日記のような記憶に想いを馳せながら、私は独り、今にも息絶えそうな子猫を引き取ったかのような感情に重い蓋を落とす。
見覚えのある、冷たい結露のような雫が、いつしか自分の頬も濡らしていた。

『冬のあと』(2024) ※フィクションです。

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