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『純白』

吹き抜けた風に気を取られた先に、君の姿はなかった。

「でも、こういうの実際あるのわかる気がする」

そう静かに呟く君に、僕は上手く答えられなかった。その瞬間だけが、いつまでも僕の頭に残っては消えない。

あの時、僕はずっと気まずい思いを抱えていた。それが誰かに対するものではないこともよくわかっていた。終わりに向かって積み上げる日々の中、いつしか誰かに1人の人間としての自分を見せることを過剰なまでに恐れるようになってしまったのかもしれない。楽しいはずのあの時間、2人だけのあの世界の中で、僕はどうしてか、上手く笑えなかった。ただ、ほんの僅かながら感じとった思いの中には、尊く透き通った君に触れぬよう、決して傾かぬよう、一定の距離を保ちながらも確かに君を傍で見守りたいような、そんな名もなき何かがあった。

全てが静まり返った2人だけの空間の中、君と実に他愛もない会話をした。

「ワンピース、ウソップが仲間になったあたりで止まってるんだよね」

そう言うと君は、全然まだまだじゃんと笑った。そんな他愛もない時間と他愛もない話。どこかぎこちなく、あどけなく、雪よりも純白な関係。僕は後ろめたかった。それは別に、何かを企図したものでも、何かに起因するものでもない。振り積もって1週間ほどが経った都心の雪のように泥と煤で濁りきった今の自分が、そこに触れてしまうことにどうにも拭えない決まりの悪さを感じたのであった。

そんな顔で俺を見ないでくれ。時間とともに流れる雪解けの水のように透き通った君の笑顔は、黒く汚れきった自分を写す鏡のようで、面と向かって見つめるほどに心做しか肩身が狭かった。

そんなあの日も、今ではもう過去のページのうちの1つ。この季節が去れば、二度と訪れることのない時間。数月後の僕は、きっと誰も知らないどこかの誰か。

ただ、薄汚れた自分を写す鏡は、自分に幽かに残るいつかの何かさえも、多少なりとも確かに、しかも鮮明に、この感覚とともに忠実に描写してくれた。それこそが、自分がずっと求めていた何かだったような気がした。

最期はきっと悼みを抱えて終わる、だから終わりなどいらない。一度足を踏み入れてしまえばその瞬間に終わりがついて回る、だから始まりなどいらない。

終わりもなければ始まりもない、ただ、静止した時間の中でのたった一瞬の解れのような、微睡みの中に見る胸を締め付ける何かのような、そんな淡く儚い心象の1つのような、そんなもので構わない。

「でも、こういうの実際あるのわかる気がする」

そういえばあの時、僕は何て答えたんだっけな、、
あぁそっか、そうだな。
僕は多分そんなことを答えた気がする。

「たしかにね」

『純白』(2024) 

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