名札のない親切
不幸の経済というものがあります。
辛い思いを引き受けた見返りを求めて、次の誰かに辛い思いを強いること。
割とよくあると思います。
昔、ニコニコ動画で生放送をしていた時に、
仕事は好き?
ってコメントで聞いてきた人がいました。
その人に限らず、仕事というものは人の時間を拘束し、自由を奪うことによって対価を得る行為になっています。そこには心の交流はありません。お金に信用を担保させているので、稼ぐ時も使う時も、当事者間には心の交流がないのが通常です。
そのようにして奪われた自分の時間を取り戻そうと、無駄な買い物をしたり、家族に辛く当たってしまうのが仕事というものです。
嫌ですねー。変えたいねー。
不幸の経済と仕事とお金、それぞれ別のものですが似たような空気を感じます。ここに何か、いるぞと。覚えておくと、ふいに妖怪が出てきても取り憑かれないで済んだり、大切な人の身代わりになれたりしますので、心の準備って大事ですよね。(時間の準備のほうが大事なのかも?)
昔っからGDPってなんなんだろうってよく分からなかったのですが、もしかしたらこの不幸のカルマが蓄積しているのかもって思いました。
自分のところに来た不幸は他人には送らないように飲み込んで、自分のところに来た親切を、次の誰かに送ることができたらいいですよね。そっちのGDPにしていきたいな。
タイトル回収、名札のない親切。
逆バージョンの、名札付き親切っていうのは、この仕事私がやりました、って明確にわかるやつです。めっちゃ助かるやつから恩着せがましいものまで。した人の名札が付いてるか否かに注目します。
恩返しをしたくなったり、借りを返したくなったり、
誰がやったかわかるからこそ、元に戻すことができてしまうんです。
これが名札のない親切だと、誰に返せばいいのか分からないので恩返しができません。
その場合、恩送りするしかないんです。
一つの親切が次の親切へ世界を回っていく。
"親切に名札がついていないという条件"は、親切の経済において重要な要素になっていると思います。
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