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いま目が合った!(合ってない)

ライブ鑑賞中に「いま目が合った! いま絶対私の方見たもん!」とうれしくなるとき、ありますよね。あるあるですよね。本当にアーティストが自分の方を見ていたかどうかはともかく。

私は最近、ほぼ日の「今日のダーリン」でその現象を感じているんです。

え、これ、オレに向けて書いてるんちゃうん?みたいな。なんでオレにそんないい言葉かけてくれんの?みたいな。なんでオレのこと知ってるの?みたいな。こわいこわい、みたいな(お前の思考がな)。

例えばこちら。

「ひとり遊び」を、もっともっとしたほうがいい。
(中略)
「受け身でたのしませてもらう」だけでなく、
じぶんの頭や労力を使わざるを得ない遊びのことだ。
(中略)
受け手と送り手の往復を、ひとりでやることで、
どっちの考えも育っていくし、両方の接点も見えてくる。
そして、だんだんと「その人らしさ」がつくられていく。
(後略)

ほぼ日刊イトイ新聞 2023年4月3日の「今日のダーリン」より

そうなのよ。そういうことなのよ。だから私はnoteを始めたんだ。目標も目的もなくぼんやり始めたけど、そういうことよね。この文章を読んで自分がnoteを始めた理由に輪郭が引かれた気がします。「じぶんの頭や労力を使わざるを得ない遊び」、がんばっていきます。

もう一つ、こちら。

(前略)
儲からなくてもいいと決めたら、いくらでもじぶんで
「やること」はつくれるとも言える。
「じぶんのできることよりも、ちょっとかんたんなこと」
を見つけていくなら、けっこうあるんじゃないかな。
落語のなかの小僧さんがやってることだとかね、
水まきやら、雪かきやら、掃除やらというような。
やってるうちに、また新しいやることが見つかると思う。

ほぼ日刊イトイ新聞 2023年4月5日の「今日のダーリン」より

この日の「今日のダーリン」は「やることがあることの、ありがたさ」などについて。noteという「やること」をつくった私を励ましてくれているように勝手に感じました。特に最後の「やってるうちに、また新しいやることが見つかると思う」に勇気づけられました。肩に力を入れずに「やってるうち」を続けていきたい。


これまでの流れとは関係ないのですが、こういうこともあるんですね。いい話。



時には本当に合ってることも