自分の生きていく力を信頼すること #cotoru_radio
先日、cotree 社の半分?エンジニアのたみーさんのポッドキャストを聞きました。
たみーさんのゆるい語りの中で、エンジニアの千葉さんが展開される骨太な看護学理論の解説がそれはもう面白くて、思わず聞き入ってしまいました。
特に面白かった部分と自分の感じたことの整理のために、今日は記事を書いてみたいと思います。
オレムの看護理論とエンジニアリング
42分ごろから語られてる看護理論の話がめちゃくちゃ自分のストライクゾーンでした。
オレムの看護理論を引用して(すごくざっくりとまとめると)
・みんな自然治癒力がある
・でもうまく発揮できないから、それを引き出すための場を整えるのが看護
・(さらに拡張して)自分で社会的なリソースを取ってきて、その人のセルフケア能力を最大化するのが看護である
ということを仰っていたのが印象的。
たぶん、オレムの看護理論はこちらでしょうか...?(気軽に手出しできる本ではなさそう・・・?)
上記の看護理論を引用して、社会的なリソース(cotreeの場合だと心理士さん?)を上手に活用して自然治癒できるように、クライエントの自分たちが振る舞えるシステムをつくるのがエンジニアリングのお仕事、と捉えていらっしゃるようでした。
クライエントの生きる力への「信頼」
もちろん、上記の看護学の理論自体も、とても興味深いですし、面白く聞かせていただきました。
ただ、それ以上に印象的だったのが、千葉さんの発する言葉の裏に感じられた「信頼」でした。自分たちクライエントがちゃんと回復して生きる力を持っていることへの「信頼」。
看護学の理論として?みんな自然治癒力をちゃんと持っている、という前提に立っているからかもしれません。ただ、それ以上に自然な形で彼自身が、自分たちクライエントがちゃんと回復して生きていけるよ、と信じている雰囲気が番組から伝わってきました。(あるいは一緒に飲んで喋ってるときからでもそうかもしれません。)
思えば、cotreeの心理士さんたちも、あるいは中の人の他のみなさんも、そんな風に自分たちへの信頼を寄せてくれていたなあと感じます。
確かに、自分たちクライエントが心に対する辛さは抱えていても、「あなたは弱くて無力な人間だ」とは絶対に捉えていなかった。
どちらかというと、「あなたは今は辛さを抱えていて弱っているかもしれない。だけど、ちゃんと生きていける力もあるよ」という捉え方に近かったように感じます。
実際cotreeの心理士さんお二人のnoteを読んでいても、そんな感覚に近いように思えます。
例えば、藤田さんの言葉を借りるのなら、「答えは必ず本人の中にある」ということだろうし、
遠山さんの言葉を借りて言うのなら、「あなただけのパワー」ということかもしれません。
信頼された自分たちの目指すゴール
じゃあ、心理士さんたちや中の人のみなさんから信頼された自分たちクライエントはどうすればいいのだろう?どこを目指したら良いのだろう?とぼんやり考えていました。
いろいろと頭の中でこねくりまわして至ったのは、
・自分で自分の生きる力を信頼できるようになること
・周囲の他者を信頼できるようになること
をゴールにすればいいのかな、ということでした。
心の辛さを抱えたとき、往々にして自分で自分自身への信頼を失った状態であることが多かったように思います。
「自分はなにもできない・・・」
「自分はこれから生きていけない・・・」
「未来を生きる希望が持てない」etc..
でも、もし自分たちを信じて寄り添ってくれる伴走者がいるとしたら?たぶん、辛い時よりちょっとだけ自分自身の力を信じられるようになっているかもしれません。
そこからトライ&エラーを繰り返しながらも、伴走者と一緒に歩くことを繰り返していたら、今よりも、一歩、二歩、三歩と自分の生きる力を信頼できるようになっていそうな予感はしました。
そうしたプロセスはきっと周囲の他者への認識にも及ぶはずで、自分の生きる力を信頼できるようになると、他者への信頼にもつながりそう。それってきっと「依存先」にもなったりして。
こんな偉そうなこと書いていますが、自分もまだまだ自己信頼を獲得するプロセスを歩んでいる途中です。今回の番組聞いて、改めて、カウンセリングとか自分自身の心に対する認識を深くできたなと思ったのでした。
おしまい。