憧憬
霧雨50号
テーマ「SNS」
作者:治
分類:テーマ作品
「…もしもし、あの、高山勇太です。智くんいますか」
「もしもし勇太くんね。ごめんね、智さっき出かけちゃったわよ。多分今日も公園じゃないかしら。ごめんね、おばちゃんわからないわ」
「あ、大丈夫です。ありがとうございました」
今日も一日頑張って、さっき家に着いたところだった。僕はいつもみたいにみんなとサッカーしに行く前に智に電話をかけた。念のため智には電話をするけれど、いつも受話器から聞こえるのはおばちゃんの申し訳なさそうで小さな声。
おばちゃんは知らないと思うけど、僕は別に電話で話したいわけじゃない。ただいつも確認したいんだ。もし僕が公園に一番乗りだった場合、みんなが揃うのを待たなきゃいけない、それは寂しいしつまんないから嫌だ。僕の家は学校の門から一番近いし、って言ってもそれは裏門で帰るときは正門から帰るけど、それでも家の遠い陽太とか夏未は僕が家に着いてもまだまだ家までかかるぐらい遠いし、やっぱり僕が一番近い。その次が智だ。
智に電話をかけたって絶対に出やしない。おばちゃんは智がどこに行ったか全然言ってないからわかってない。でも公園に行ったらいつも智は先に居て、いつもブランコを漕いでいる。だから智が電話に出ないのを確認したら、公園に行こうと思う。
快速飛ばし、自転車のギアを6まで上げてみる。でもまだちょっと僕には重たくって、4とか3とか試してみるけど、やっぱり1で全速力。冷たくなりはじめた風が、膨らむ真っ白なTシャツの袖を通り、背中の汗を乾かしている。
籠の中のサッカーボールは窮屈だ。
帰りのチャイムが、僕たちの脳内で鳴り響く。
「えーもう五時半? なんか最近早くない?」
「もー陽太、昨日も言ったじゃん。十一月になったから四時半に鳴るようになったの」
昨日も一昨日も陽太はおんなじことを言ってたし、夏樹だって全くおんなじ返事している。
「なんかこのチャイムの声って変だよね、こんな声の人居ないよ」
陽太がまた変なこと言い始めた。
「じゃあロボットってこと?」
ばかにつられたのか、智も変なこと言い始めた。でもロボットなんて漫画じゃないんだから、そんなのあるわけないのに。
「わかんない。そんなことより今日ポケモンだよね、先週面白かったから早く観たいよ」
「おい勇太何言ってんだよ、今日はポケモンやらないぞ。先週予告で言ってたじゃん」
そうだった。ぼくは一瞬にして生きる意味を失った。だいたい毎週決まって木曜の夜はポケモンだって言うのに、なんで今日はないんだよ。木曜の夜って決めたのはテレビの人なのに、なんでそっちの都合で決まるんだよ。僕は社会の理不尽に激怒した。僕がテレビの人だったら絶対毎週ポケモンをやって全国の小学生を喜ばすのに。
「あんたたちまだポケモンなんて見てんの? 子どもじゃないんだから、アニメなんてやめなよ」
「あ、夏未がまた大人ぶってる。おまえ女子だからって調子乗んなよー」
「そんなこと言って夏未だってまだプリキュアとか観てるんだろ」
そうだそうだ。母さんが「女の子は男の子より早く大人になるの」なんて言ってたけどそんなことないよ、絶対、少なくとも夏未はまだまだ子どもだよ。
「み、観てないよ! ばかにしないでよ、だから男子っていやだ」
リフティングしても続かない、それでも一人でボール遊びする智を横目に、僕たちは帰る準備をし始めた。時間がゆっくりと急ぎはじめる。
「帰りになるともうほんと寒いね」
夏未は薄い生地の長袖を着てるからたしかに寒そうだ。僕は持ってきたジャンパーを着てるからあんまり寒く感じないのかもしれない。小さな夏未の背中を風が圧倒している。ピンクのシャツがダンスする。
「あのさ、トモセンって結婚してたっけ」
「してないよ。だってトモセンまだ二十三歳だもん。結婚って三十歳ぐらいでするらしいよ、ママが言ってた。どうして?」
「いやー、トモセンって大人っぽいじゃん。それに綺麗だし、結婚しててもおかしくないなあって。中学校に行って高校に行って、大人になって働いて、結婚するとか人生って長いよなあ。まだまだ先だよね」
夏未は瞬きをして僕を一目見た。その瞬間、その眼に映る夕陽が僕を温める。
「そんなことないよ。あたし小学校入った時から今までの四年間、ほんと一瞬だったなって思うもん。だからどうせすぐ来るんだと思うよ」
「そうかなー。いま十歳で、二十歳まであと半分もあるじゃん。長すぎるよ! 僕が大人になったとき、ポケモンやってるのかな。どんな仕事してるのかな。どこに住んでるのかな。彼女とかいるのかな」
「勇太は大丈夫でしょ、真面目だし。智もどんくさいけどなんだかんだやっていくでしょ、運動神経いいもんあいつ。心配なのは陽太、あいついっつもおんなじことばっかり言ってるし、ほんと分かんない。あたしがいなかったら何もできないんじゃないかしら」
僕は下唇を噛む。
「まあでも陽太もなんとかなるんじゃない」
「あれ勇太、家こっちだっけ」
「いやこっちから抜け道があって、そっちの方が近いんだよ」
僕は少し遠回りした。気づけばそこらの空気が少しちくちくするような冷たい刺激を持っているのを、パーカー越しの産毛は知らせた。今年はいつもより寒い。
ドアを開けると一度に暖気がもわっと漏れ出し、ドアを開けると一度に寒気がびゅうっと入り行く。玄関にはおいしい匂いがどこからかやってきているが、あいにく僕は夜ご飯が何かわかるほど良い鼻を持ってない。だいたい鼻を使うことなんてほぼないのに、こういうとき鼻のいいやつは「なんでわかんないの?」なんてバカにしてくる。食べておいしいんだから何でもいいじゃん。
小さなピンクの靴が無防備に八の字を描いて、しかも右靴は「くもり」を示している。でもこういうときは良い方を信じたら良いにきまってる。僕は鎮座する左靴を拝み、明日もサッカーができるように祈った。そして僕は両靴ともにきちんと「晴れ」を示しておいた。三対一で晴れの勝ち。
リビングに行く。優しい顔をして母さんが待っていた。リビングに着いてやっとにおいがわかったけど、今日はたぶんクリームシチューだ。もちろんシチューのにおいがするし、母さんシチューの顔をしてる。母さんにお風呂に入るように言われる。毎日帰ってきたらごはんの前にお風呂に入るのが僕の家のルールだ。仕方ないけど、本当は今すぐシチューが食べたい。食べてすぐにこたつにごろんとして、ポケモンが見たい。それからそのままこたつで寝たいなあ。あ、でも今日はポケモンやらないんだった、いまから一週間は長いよ。
僕の家にも冬が来た。
洗面所で服を脱ぐ。もうちょっと寒くなってる。去年の十一月はこんなに寒くなかったと思う、なんだかもう秋が終わっちゃったのかな。冬は手がかじかんで痛いし、だいきらいなマラソンだってあるし嫌だなー。
じゃ口をひねる。冷たっ! 寒いのに、もう! とりあえず一旦シャワーは浴槽の方に向ける。でも、夏未と一緒に帰ってるとなんだかへんな気分になる。なんか楽しいけど恥ずかしい感じもある。でもたぶん好きってことじゃないんだと思う。うーん。
そろそろかな。うわあーあったかい。僕はずっとシャワーをからだに浴びる。長い間流して水道代が高くなるかも。
長湯した。
予想通り、晩ごはんはクリームシチューだった。お腹ぺこぺこだからはやく食べたいけど、熱くて口がやけどするかと思った。たぶんやけどした。でもおいしかった。ほくほくのじゃがいもは噛んだ瞬間に中の熱い感じが歯につたわってきてあったまるし、にんじんだってすっごく甘い。玉ねぎもしなしなになるくらい柔らかいし、ごはんとも良く合う。おいしかったなあ。
ポケモンがやってないから、退屈だ。
「勇太、今日は母さんと加奈とトランプしようよ。ババ抜き」
「やったー! 今日はお兄ちゃんに勝つもん!」
加奈がすごく喜んでる。ババ抜きよりDSしたいな。まあでもたまにはみんなでトランプしてもいいか。
みんなでこたつに移動する。まだあったかくなくて少しがっかりする。はやくあったかくなって欲しい。
「加奈、こたつのスイッチ押して」
母さんがカードをくって配ってる間にだいぶあったかくなってきた。別に部屋の中にいて寒いと感じていないけど体が冷えていたことが、じんわりと足先が内側から熱を帯びていくのを感じることで分かる。まだ十一月も半ばに差し掛かるかな、ぐらいだけどもうかなり寒い。今年は寒いのかもしれない、みかんが美味しい。
母さんと妹と僕、正方形のこたつを3人は囲む。なんだかんだいってもトランプは楽しいし、テレビも見ず、ゲームもしないでこうやって3人で笑いながら居るのも良いなあ。父さんも早く帰って来て欲しい。ああ、寝たくないなあ。