一年後、僕は首を吊る

霧雨51号
テーマ「翻訳」
作者:小桜明
分類:テーマ作品

 一九四七年以後イスラエルなど中東の各地の遺跡で発見される通称死海文書と呼ばれる一連の写本群、二千年以上前に書かれたとも言われ、二十世紀最大の考古学的発見とも称されたそれらの中には、無論保存状態の悪いものも存在する。
 その中に一つ、『予言の書』と呼ばれる文書群がある。命名理由は至極単純なもので、それが未来の人類史について書かれたものであったからだ。ヘブライ語で書かれたそれらは劣悪な保存状態故その大部分が判読不能となっていた。
 しかし文書群の下の方に保管されていた、すなわち後年の予言は幸運にも読めないことはない程度の劣化状態であった。そして一九五六年から翻訳は本格化した。
 翻訳作業を主導したのはクレッグ・ピーターソンというアメリカの大学教授であった。彼は古代ヘブライ語研究の第一人者であり、『予言の書』の発見者でもある。翻訳可能な文書はおおよそ日清戦争以後、すなわち西暦一八九四年からの内容であった。彼は六十五年かけて二〇二〇年までの予言の翻訳を行った。驚くべきことに、その内容には一切の間違いがなかった。人類史上大きな事件があればその原因からおおよその日時まで(暦は古いものであったが)書かれていたのだ。ピーターソンの捏造も疑われたが、後の監査で彼がそのようなことをしていないことが証明された。
 だが、ついに予言が現在を超えるかと思われた去年二〇二一年、彼は交通事故により命を落としてしまう。

 そしてその後継となったのが彼の一番弟子であった僕である。僕は先生の研究資料と研究室を受け継ぎ、この『予言の書』の取扱責任者となった。
 この文書の翻訳が完了すれば、僕は今後の人類史を予言する男となる。無論一躍有名人となるだろう。そうなれば、僕の研究者としての地位は安定だ。今後資金面で困ることも無くなり、どのような研究をしようと注目を集めることができるようになるだろう。
 なにより、僕のあこがれの人であり、恩師でもあるピーターソン先生の研究を受け継げるなど夢のようなこと、気合も入るというものだ。
 文書を見ると、残りの枚数は相当少ないようだった。また、先生が遺した研究資料を見たところ、文章の癖や文字の独特な崩し方などの書き手の癖が記されている。見た感じだと、一か月で三か月分の翻訳が可能といったところであろうか。
 現在二〇二二年八月、翻訳個所はおおよそ二〇二一年の六月くらいからだ。スムーズにいけば七か月半後には予言が現実に追いつく計算となる。

 なんにせよ、この翻訳は先生の遺した最も大きな宿題だ。この宿題をこなすことこそが現段階での僕のライフワークとなる。
 これから忙しくなりそうだ。

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