読書記録:まちづくりと景観
田村 明:まちづくりと景観(岩波新書)
はじめに
本書はタイトルを見て面白ろそうだと思い手に取ったがよく見ると著者が田村明で,学生時代に学んだ都市計画に関する功労者の一人であり,横浜の高速道路の話を思い出した.そして,その横浜都心部高架道路の地下化の話は序章に現れ,この部分を学生時代に読んだことがあることに気づくが,今回再度読んでみて,改めて学ぶ部分もあった.
その中で特に考えさせられたのは都市計画とは何かという部分である.本書でもある様に都市計画は都市全体を考えなければいけないのに,道路等の特定の構造物の話として考えてしまっていることが多々あることについて考えさせられた.もちろん各主体ができることに限界があることは間違いない.しかし,できることに限界があったとしても,都市全体を考えるという,より広い視点で物事の本質を見極める力が必要であると感じたし,これからそのような広い視点を意識していきたいと感じた.そして,本書が書かれた約20年前にできていなかったことがいまだにできていないと感じたし,それを変えていくためにも,まず自分がその様な視点で物事を考えられる様に変わっていく必要があると感じた.
そもそも「都市計画」とは道路だけを考えるのではなく,「都市」全体を考えるのが,その役割のはずだ.だが,ここでは道路をどうつくるかとういう事にしか,目が向けられていない.
「美しさは心のありようと深く結びついている.私たちは社会資本の整備が,目的ではなく手段であることをはっきり認識していたか?量的充足を追求する余り,質の面でおろそかになった部分がなかったか?率直に自らを省みる必要がある.またごみの不法投棄,タバコの吸いがらの投げ捨て,放置自転車の情勢は社会的モラルの欠如の表れでもある」
ここまでが序章にあたる部分で、1章から本書の内容について考えてみたいと思う。
1章:美しい景観とは?
1章は美しい景観がテーマであるが,その中で多様性と景観の関係について学んだ.
多様性というと様々な個性が存在しており,景観はデザイン等で統一されたものでこの2つの言葉は一見すると共存できないように感じていた.しかし,本書にあるように一つの「景観」や「まち」としてまとまりながらも,それぞれの個性を生かした多様性は共存できることについて学んだ.序章の部分にもあったが,全体を見るという広い視点が重要であると感じた.
多様性とは,多様な都市や地域があってよいということで,景観として捉えられるひとつの都市や地域の中がバラバラでよいという意味ではない.一定の単位ではまとまりをもち,統合された「まち」になっていることが重要だ.
2章:美しい景観を壊したもの
2章では,美しい景観を壊したものというテーマから,都市に対する理念と当事者意識の重要性について学んだ.
本書にもあるが,都市をどうしたいかという理念がないと都市が進むべき方向性が定まらず,美しい景観,魅力的な都市にはならないだろう.そして,都市への理念を持つためには,その都市に住む人々が自分たちの都市をどのようにしたいのか広い視野で,当事者意識を持って考える必要がある.そういった当事者意識のない住民ばかりの都市では,その場その場で重要視するものが変わり,最終的にまとまりのない都市になってしまうだろう.
新しい都市への理念を確立しないままに,個別の建築や道路,鉄道に投資していく.都市の全体像を与える者がいない.
さらに困ったことには,都市全体を考える立場にあるはずの国や自治体などの公的機関も,目的別に組織され,「まち」をつくる意識がない.
都市への景観は,ひとつずつの行動が積みあがってきて形成される.一つの建築物や構造物を設置しようとするときに,その周辺や,もう少し広い地域への関心をもっていれば,全体としての景観は整ったものになるだろう.
そして本書の中にあった「ヒト」への優しさがなくなったことも,美しい景観と関係があると感じる.ヒトに限らず周囲への優しさ,心の豊かさ・ゆとりが無くなってくると,自分のことしか見えなくなり,結果として都市という周りに対する配慮がなくなり,無秩序な景観が生み出されてしまうのではないだろうか.
ヒトへの優しさが減ったのではないだろうか.ヒトへの無関心は地域への愛情を育てない.優しい心が薄れたことが,「まち」を美しくなくした大きな原因のように見える.
3章:なぜ景観を考えるのか
3章は,なぜ景観を考えるのかというテーマであるが,改めて考えてみると人間の生活の中心である都市の景観に対して,なぜ無関心でいられるのだろうか.
あたりまえのことだが,都市は人間が住むためにあるはずだ.ただすむだけではない.人間らしく住むためにある.この単純明快な原理が,ときどき忘れられてしまう.
現在の日では,ほとんどの人に「まち」への意識がない.
美しい景観を協働して整えてゆくことは,「住むに値する(まち)」にしてゆく,まず第一歩なのである.
2章の心の部分にもつながるが,感性といった定量的に評価されない部分の価値があるのではないか,人間だからすべての価値が定量的に測れるわけではないし,もしすべての価値が定量的に評価できるようになってしまえば,人間は何の面白みもないロボットのような存在になってしまうだろう.
資本の論理は市民も巻き込み,大衆もまたそれを望み,便利性,効率性,機能性が重視され,肝心の人間性は軽視されている.感性とかココロの問題が軽視されてきた.
4章:「まちづくり」と景観の特性
4章もまちづくりと景観の特性というタイトルであるが,まちづくりという都市全体を魅力的にするためには,広い視点をもって個々の建物等を考えなければならないと感じた.
保全するものは保全し,余計なものは作らせず,そこにこれまでになかった創造的な景観を加えていく.全体としての「まち」が意識され,メリハリをつけている.
5章:都市景観をつくるものは誰か
4章までで都市景観を考える際には広い視点が必要だと感じたが,5章でより具体的な部分について学んだ.まず,都市景観というものは一度完成したら変わらないものではないという部分である.本書にもあるように景観というものは,その時代,時間帯によって変わってくるし,その善し悪しも変わってくる.そして,自分が実際にどこかのまちに行って景観を見る際にも朝と夜といった違った時間に同じ場所を見るのも面白いと感じた.時間帯によって景観は変わるだろうし,特定の時間帯の景観だけでその都市の景観を論じるのも良くないだろう.
動態的な景観は,時間帯や季節,天候,ハレの日・ケの日により常に変わる.都市を訪れた場合に,私は少なくとも朝,昼,夜と三回は同じ場所に出かけた.それぞれに違った姿を見せるからである.
そして,都市全体を見て都市全体の魅力を上げていくためには,都市全体を考える組織が必要であると感じた.本書が書かれてから20年近く経過した現在も,自治体内に都市全体を考える部署がないことで,都市全体の景観の統一等が難しくなっている部分もあると感じた.
自治体自身も,いちばん地域景観に責任ある立場なのに,さまざまな部局に分かれ,景観に関する関心が薄く,景観にマイナスを与えている.真っ先に改めるべきだ.
6章:都市景観のジレンマ
6章では都市景観のジレンマとして自動車社会について記載されているが,それを読んで感じたのは,都市は誰の為になるかという点である.言い換えると,本書にもあったように自動車が都市に入っている現代において,自動車と人のどちらを優先すべきかという点である.動力をもっている自動車が人間を避け,都市内を人間中心の空間にしていく必要があるのではないかと感じた.そして,自動車はあくまでも人間が便利に生活するための「道具」でしかないので,その道具に人間が振り回されてどうするのかと感じた.
馬力を持つ自動車のほうが歩行者を避けるべきだ.
クルマ社会の恩恵にドップリ浸かった以上,その便利さを受け入れながら,ジレンマを最小に抑える努力が必要だ.それにはまず,クルマは人間生活を豊かにするための「道具」であって,人間が優先するという思想を確認することが肝心だ.
7章:都市景観に求められるもの
7章で感じたのは都市景観には人間の心や感性といった必ずしも客観的でない価値や考えが重要であると感じた.本書にもあるように心が豊かな人々がいる都市は魅力的であるし,住民主体の都市が構成されているように感じる.そして,そのような価値を大切にしていくことで車中心ではなく人間中心の都市になっていくと感じた.
愉しいのんびりとした歩行者空間をつくるのは,クルマ社会にたいする人間社会の挑戦である.
潤いのある「まち」の大きな要素は,ヒトのココロだ.他人にもやさしいホスピタリティのある「まち」は,見た目に加えて,さらに美しい.
また路面電車について,本書では「一種の動く歩道」と表現されており,興味深いと感じた.確かに路面電車は都市の地上部を比較的遅いスピードで運行し,停留所の数も多く,停留所からまちの中まで階段等を使わずに移動することが可能であり,人間に近い交通手段である.このような人間に近い交通手段があることで,都市における人間の行動範囲が広がったり,楽に移動できたりと,都市における人間生活を移動の面で豊かにしてくれると感じる.
個人的にも路面電車が好きだが,それは人間に近い感覚で都市の中を移動できるからだと感じるし,そのような路面電車が日本で増えていってほしいと感じる.
路面電車は人間と共存できる市街地内の交通手段だ.歩行者天国で車を入れない所でも,路面電車は入れる.「トランジット・モール」ともいう.私は市街地では,一種の動く歩道だと思っている.
8章:都市景観づくりの手法
8章では都市景観づくりの法的手続き等が記載されているが,その中で考えさせられたのは,景観に与える影響の大きいものは予め計画段階で公表されるという点である.住民という当事者抜きで計画が進められるのが問題ということでこのようなシステムがあるが,本書にもあるように,開発事業者側からみると,計画の事前公表は反対運動につながりかねないことである.それでも日本では事前に計画段階で公表されることになったのは,日本の為であっただろうし,事業者も都市は人間が中心であることを認めた結果であると感じた.
計画当事者側からすれば,余計な反対運動などを誘発しやすいと拒否するだろうが,都市空間は市民のガバナンスで,そこに協働して作品をつくるのだと考えると,特別な行為には一定の手続きが要るだろう.
9章:美しい景観づくりのために
9章は本書のまとめの部分になり,美しい景観づくりの原則について記載されているが,その中で都市全体を見ることや見ることのできる環境をつくることが現代において特に重要になっているのではないかと感じた.現代においては,都市に対する興味を持っている人は少なく,より早く安く自分の目的を達成したいと感じる人が増えているのではないだろうか.そうなってくると,常にスマホばかりを見ていて,何となく街並みを眺めながら歩くといった都市に対して無関心になってくると感じる.そういったこともあるため,市民が都市の実感を持てるような施設や情報の提供が求められると感じた.
そして,本書の最後に記載があったが,美しい都市景観は人間らしく生きていくためのものであり,もっと関心をもってもらえるような取り組みが必要であると感じた.
都市を一望で捉えられる眺望点を確保し,市民が都市の実感をもてるようにする.
美しい都市景観は,人間らしく生き生きと,誇りをもって生きてゆくためのものである.
おわりに
本書は約20年前の書籍であるが,景観というキーワードから都市全体について学ぶことができた.むしろ20年前から状況が変化していないことが問題の様な気もするが,そういった20年前から変わっていない部分を変えて,都市全体を魅力的な場所にしていきたいと感じるし,それが豊かな社会につながっていくと感じた.