宝の時間
幼い子供時代というのは 天からのプレゼントなのかなぁと思う
子供へのではなく、その親への。
花見に来ている親子連れの姿をみて、自分の子が まだ小さかったあの頃を重ねる。
そしてまた自分自身が それくらいの幼児だった頃の微かな記憶。
親としてなんて幸せな日々だったんだろうと。
もっと 一緒にいてやる時間をたいせつにして、もっと遊んでやったり、もっと話をしてやったり… いや違うな
もっと 一緒にいてもらえる時間をたいせつにして、 もっと一緒に遊ばせてもらったり、 もっと話をさせてもらったりすれば良かったと、 今さらになって 寂しいような もの悲しいような なんとも言えない感情にとらわれることがある。
うちの子は幸い健在で、もう大学生になった。
大切な、愛する子供であることには変わりはないのだが、 あの 幼い頃の彼に抱いていたあの感情はもうどこかへ消え去ってしまっている。
あたりまえと言えば そうなのだが、そんなことを思う度に涙が溢れそうになる。
幼かった頃のあの子は 天からの プレゼントだったのだな と。
今 幼い子供と 何気ない日常を過ごしている幸せな人。
どうか その宝物を 宝の時間を 無駄にしないように 悔いの無いように 存分に味わってほしい。