更生カレーとは~江東区の名物保護司と不良少年Dたち~
「あんたたち!事故だけはしないようにしなさいよ!」
今から約二十年前、江東区南某駅前のマンションの10階から、目下に溜まっている不良少年たちに大声で叫んでいるおばさんがいた。
当時のそのエリアは、2世以降の中国残留孤児らを中心とした"D"という集団が幅を利かせていた。
グレにグレた少年たちは凶悪化の一途を辿り、新聞やお茶の間を騒がす大事件なども起こしていく事になるのだが、そのおばさんは物怖じもせずに少年たちを注意して回る。
注意して回る、は語弊があるか。
気にかけていた、と言った方が正確かもしれない。
「おいあのうるせえババア誰だよ?」
その集団の十代目の長であるFがそう聞くと、仲間内の後輩Aが「あの人…俺の保護司さんなんです…」と恥ずかしそうに言ったそうだ。
美しく塗装されたCBXのアクセルを数回空吹かししてから、Fたちはその場を走り去る。
不思議なおばさんもいるもんだ。
サイレンサーを当然のようにぶち抜いた騒音だらけの自分たちを注意するならまだわかる。それがまさか事故の心配とはな。
夢の島公園を抜けて荒川に出る。
溜まり場の葛西に到着する頃に再度仲間に問う。
「あのおばさん、保護司のくせにお前が単車乗ってて怒らないの?」
「違反すんなとは言われるっすね。」
「ふうん。それにしてもやけに馴れ馴れしいおばさんだよな。」
Fがそう聞くと、Aは恥ずかしそうに口を開く。
「たまに…晩飯食わせてもらってるんすよね。」
「何やってんだよお前。
保護司なんて、警察の仲間かなんかだぞ。のこのこ餌もらいに行って、何考えてるんだてめえは。」
国家権力に徹底して反抗していたFには、そのAの行動が裏切りに見えたのかも知れない。
「いや毎回じゃないですよ。
ほら今うち、親父刑務所行っちゃってて、母さん夜働いているから、たまに飯がなくて。それで、いつでも来て良いわよなんて言われたもんだから。」
「なんだ?そんな真面目にやりてえなら、Dやめて、真面目に働くなり、すればいいじゃねえかよ。」
「それはできませんよ。自分、Dに命懸けてるんで。」
「そうかよ。でもあんまり、気許してへこへこすんなよ。情報抜かれて、まとめてチンコロされる可能性だってあるんだからな。」
当時のDは、中国にルーツを持つ少年と日本人とで、半々くらいの状態。
後にマフィア化してく集団でもあったが、まだ、あどけない目をした少年も多かった。自分は学校で給食が食べられる。でも親は、その日食うものにも逼迫している。そんな家庭もあった。
上手ではない日本語への、差別もあったろう。そういった背景を、後に包丁軍団とも呼ばれる数々の凶悪事件を正当化する理由にしてはならないと思う一方、溜まった鬱憤を爆音を鳴らしながら夜の街を流すことで、ガスと一緒に排出する少年の気持ちもわからないでもない。
公園の暗がり。シャッターが全て降りた商店街。そして駅前のローソン。単車を降りた少年たちは街の至る所に出没した。同時に、おばさんも至る所に出没したらしい。
翌週には、溜まり場の公園に現れた。
「あんたたちね、赤ちゃん寝かしつけるような家庭もあるんだから、気遣いは大事よ。家族も心配してるんだから、早く帰りなさいね」
それだけ言うと、公園の中の輪に入るでもなく、スタスタとマンションの方へ歩いて戻っていく。
「あのおばさん、この前のAの保護司だろ」
「あんなうるさいのに張りつかれたら、たまったもんじゃねえよな。」
別の誰かが言う。
「A、お前、昨日またあのマンション入ってただろ。俺見たぞ。F君にカマされても、知らねえからな。」
「おい、それは言わないでくれよ。別に飯じゃなくて、ただ面談で呼ばれただけだよ。仕方ねえだろ。保護司なんて選べないんだから。」
でも・・・言いずらそうに、Aは続ける。
「結構いい人なんだよね中澤さん。今度、友達も連れてきなさいって。」
仲間たちはゲラゲラと笑う。
「いく訳ねえだろ」
「それこそF君にブッチめられるよ。タバコ吸ってるだけで、鼻ライターだってのに、保護司んところで晩飯食ってますなんていったら、何言われるか、たまったもんじゃ無いよ。」
DにおけるFのルールは絶対だった。2000年代半ばにもなると、麻薬関連の事件や、トラブルを頻発させた集団であるのも事実だが、当時のDでは、薬物厳禁はおろか、タバコも禁止だった。
不良少年が街の暗がりにたむろしながら、タバコを吸わずに何をするというのか。信じられないという意見もあるだろう。だが、これは事実だ。
薬物や喫煙がバレると、ライターの炎で鼻先を炙られる、鼻ライターという罰が少年たちを待っていた。
パクられても、仲間をウタわない。これも絶対だった。
徒党を組んだ少年たちの王国。何代も前から引き継いだそれを、権力に破壊されないよう、何よりもそれを徹底していた。
警察には明確な敵対行動もとっており、交番襲撃なんかをして新聞に載るような事もあった集団だ。
日本人も混ざってたとはいえ、何よりも残留孤児という同じルーツを持っている事が集団の絆を強くしていたのだろう。仲間を奪還するために、パトカーを襲撃するような事もあった。
全国的にも、これほど反社会性の高いチームは稀だったんじゃないかな。
インターネットでの逸話や伝聞は、尾ひれのついた話半分にも満たないようなものがほとんどであっても、知っている人間は知っている。
敵に回したら、目をつけられたら、それは相当に面倒臭い集団だった。
さて、この江東区の名物保護司、中澤さん。
後にDメンバーの結婚式にて仲人を務めるまでに関係を深めていく訳だが、こう言ったら失礼だけど、どうしてこの凶悪グループとそこまで親交を深められたのか。写真の中で優しそうにカレーを作るこの人からはまだその謎の答えは見えてこない。
前置きが長くなったが、どうして今この記事を書いているかと言えば、その中澤さんが、更生カレー(※後述)なる物のクラウドファンディングをするとの事で、そのプロジェクト紹介になるのかな、言ってしまえばだけど。
プロジェクトページの応援メッセージには、演歌歌手の小林幸子さん、早稲田大学の教授に、前法務省保護局長。なぜかジャーナリスト丸山ゴンザレス。なんだか凄そうなラインナップだし、わざわざ俺がnoteなんかを書く必要があるのか?
そんな事も考えてたんだけど、とある日、早稲田にある俺の保護猫カフェにFが遊びに来た。
「中澤さんの支援をよろしく頼む。」
面と向かってそう言われたんじゃあ、例えば支援ページを拡散するだけとか、そんな手抜きをする訳にもいかない。
でも、本人の前で聞くべき事じゃなかったかもしれないけど、どうしても気になる事があった。
更生カレーという語呂は良いけど、本当に更生したのかってまずそういう話になるよな。10代目のFに限らずDのメンバーには、超弩級に悪いのも多かったし、更生と言われても俄にそれを信じることもできなかった。
「そこらへんは、中澤さんに聞いてほしいんだよ。もちろんみんながみんな更生したとは言わない。でもあの人に救われた人、本当に多いんだ。」
看板猫のこはだ君を愛でながらFはそう言った。
中澤さんの話を聞く過程で言葉を詰まらせるところもあったね。深くは書かないが、親族の葬儀で中澤さんが弔辞を述べたシーンのくだりで。
他にも人が亡くなってしまった事もあるし、悲しい事件だってたくさんあった。
話は変わるけど、猫の前だと、どんなアウトローでも目が優しくなっちまうから猫ってすごいよな。結局、猫が最強なのかもしれない。完璧な生き物だ。
「とにかく少しでも多くの人に中澤さんの活動が目に留まるようにしたいんだ。あの人もう八十なんだけど、全部人のために私財投げうってきちゃったような人でさ、もうここらへんでやりたい事を人に頼んでみてもいいだろ?」
当時のDのメンバーは、Fに限らず中澤さんに非常に強い思い入れがある人間も多いようだ。
でも現在、OBの中には嘘だろってくらいのまとまったゼニ持っているのだってたくさんいるのも事実で、例えばそこらへんに声をかければ目標達成額なんてすぐに集まるのでは?そう邪推する俺もいた。
しかしあくまでも目的は”より多くの人”に中澤さんの活動を知ってもらう事。要は100万円をポンと出す人が何人かってよりも、1000円の支援を何百人にしてもらって、活動報告を送ったりしながら、真の意味で応援してくれる人を集めたいと言っていたな。
まあそうだよな。変な話、Fからお触れが出たら目標達成額なんてものの一時間で達成されそうではある。だがそういうカンパでは意味はなく、真の意味での非行少年への支援活動という理念に共感してくれる人にリーチさせたいと、そういう事だろう。
と、まあそんな流れで名物保護司の中澤さんの話を聞きに江東区へ通うことになるんだけど、更生をテーマに幾度も話を聞いている最中にまさかあんな事件が起こってしまうとは。
ある日ニュースの見出しに「サンシャイン60乱闘事件」という文字列が踊った。
どうしよう。半分書いちゃったのに。まず俺はそう思ったね。
都内でこの人数規模で喧嘩する集団、それに中国人も混ざってるなんてなったらもうDで鉄板だもんな。
中澤さんとDの心温まるエピソードを30個くらい聞いちゃったのに、三桁の人数で乱闘かよ、と。俺は全然問題ないけど、元法務省の保護局長の人、応援メッセージ書いて大丈夫なのかなって心配しちゃってさ。
もちろん1998年からの保護司人生で、中澤さんが担当したのはDだけではない。だからこのタイミングでDが事件を起こそうが、それは中澤さんの保護司人生を決して否定する物なんかじゃない。だがしかし、それでも中澤さんが担当した保護観察にはDの比率も高かったし、このタイミングなだけにショックを受けてそうだなと思った。
先にF側の言い分を書くが、あれは別に襲撃しに行ったわけでもなんでもないらしいよ。長く社会不在だった人間の放免祝いがあった。そこに多少の遺恨がある者もいたが、この機会に仲直りしようという意味合いもあってのパーティーだったそうだ。お祝いのプレゼントも持参して。
なんだけど、大人数で酒が入ると暴発する人間も出てくる。トイレに行って出てきたら、喧嘩が始まっていた、と。
そのあと和解して、当初の計画通り放免祝いのプレゼントも渡したって話だったけど、それでも時期は悪かったかもしれないよな。
江東区50周年の植樹祭で、25本植えた桜が今年もものすごい勢いで咲いき誇り、中澤さんがそれをドラゴン桜と呼び、当時の少年たちの今を心配しているという、さっき聞いた見出しに書こうとしたこのエピソードを、俺は一体どうしたらいいんだよ。
まあ、起きてしまった事件は仕方ない。時計の針は過去には進まないし、色落ちしたデニムの青さも元には戻らない。犬も歩けば棒に当たるし、猿も木から落ちる。猫に小判ってパチスロ台はすぐに撤去されたし、インスタグラムでは豚がたくさん真珠をつけている。
何が言いたいかわからないと思うが大丈夫だ。俺はただ、サンシャイン60事件をスルーして、中澤さんのエピソードを書きたいだけだ。
強引に話を進めるけど、保護司ってどうやって決まるか知ってる?
まず観察所に書類が行くんだよな。家族構成とか色々な事が書いてあってさ。観察官が何十人かいて、江東区なら江東区の観察官がつく。その書類を精査して、エリアや家との距離なんかを勘案して保護司にオファーするんだ。「担当してもらえますか」ってね。
中澤さんの住んでいる場所は、ちょうどD所属の少年が多いエリアで、必然的に彼らを担当する事が多くなっていったそうだ。裏を返せば、江東区で保護観察付きになる少年のD比率も高かったんだと思う。
「いきなりなんですけど、暴走族ばっかり担当して疲れませんでした?言っちゃ悪いですけど、打倒国家権力!みたいな少年、更生させられるもんなんですかね。」
俺がそう聞くと、中澤さんは穏やかな声で答えてくれた。
「まあ最初はその子たちも、保護司がどういう仕組みか、わからないままくるでしょ。私が敵か味方かもわからないわけ。警察の仲間かもしれない、そういう目で最初は見てくるのは仕方ないのよね」
そりゃそうだ。当時を知ってる人なら想像つくと思うけど、あの頃のDは話しかけるのも躊躇するような集団だし、手を焼かないはずがない。
そんな荒くれものたちの警戒心をとき、慕われるようになるにはどんなプロセスがあったのだろうか。中澤さんの口から出た言葉には、なるほどなと思うものもあった。
「私はね、最初から核心には触れないのよ。まだ悪さしてるの?どんな事件起こしたの?そういうことは最初から聞かないの。いきなり心の中に入り込もうとしても、うぜえよババアってなるでしょ。だから最初は関係ない話をするようにした。具合は悪くない?とか今日は天気がいいね、とか。家に来てもらいやすい雰囲気を作るようにしてたわ。彼らの中には、日本の社会から拒絶されてしまっているように感じてた子も多かったから、遊び来なさい、どうぞ上がりなさいって声をかけると、『え、いいんですか?』って戸惑う子も多くてね。
それに…本当はDだとか暴走族を辞めなさい、って話をしなきゃいけないんだろうけど、私はしませんでした。彼らと話すとすぐわかるの。地元と仲間が本当に好きなんだなって。そんな人たちに仲間と離れろなんて言っても仕方ないと思ったから。『みんなで半歩づつよくなろうぜ』って言い方を何回かしたわ。クリスマスにはみんなで銀座の博品館に行ってカレンダーをプレゼントしてあげたの。遅刻してほしくないから、誕生日には目覚まし時計をあげたりね。モノで釣ってた面は否めないけど、まずはこっちのこと覚えてもらわないといけないでしょ。彼らとの関係は、そんな風に始まっていったの」
Fの後輩であるAを担当したのも、中澤さんにとって大きなターニングポイントだった。10代特有の照れの類はあったろう。だが、それでもAは中澤さんからもらった温もりを仲間に隠そうとはしなかったし、その気配はFにも届いていた。
「A君のことが心配でね。家で会うだけじゃなく彼らが溜まりそうな場所に夜な夜な顔を出しました。公園だったり、コンビニの前だったり、偶然通りがかったようなフリしてね。そしたら自然と、担当してる子だけじゃなくて、みんなと顔見知りになっていって。『あの人、Aの保護司さんだぞ』『じゃあ迷惑かけられないな』そんな空気がいつの間にかできていきました。おかげで次の年からはずいぶん楽になってね。A君やF君が言ってくれたんだろうね、『中澤さんを泣かすなよ』って。」
そんな中澤さんとDを象徴するエピソードがある。暴走族の集会といえば爆音を出してナンボだが、“泣く子も黙る”軍団がこんな配慮を見せたというのだ。
「夜、遠くからウォンウォンって音が聞こえるでしょ。あ、来た。ってわかるわけ。私はジャンパー来て外に出るんだけど、うちの近くになると音が小さくなるのよ。で、何十人で走ってるうちの誰かが私が住んでる部屋のほう指さしてね。『中澤さんちの前だから、静かにするぞ』とでも言ってくれてたのかな(笑)。それは見事なものでしたよ。」
悪さはするし、もとより法を犯すことも厭わない。そんな少年たちが、それでもこの範囲でだけはおとなしくしてよう。そう思ったのが中澤さんだった。この話はFにもきちんと裏をとったので間違いないし、なにより中澤さんがその後、Aの仲人を務めたり、懲役に行ったFの保護司も務めたことからも、両者の間に横たわる信頼関係ってやつの揺ぎなさが伝わってくる。
そしてー-中澤さんとDとの関係を語る上で外せないのが、「更生カレー」なんだ。目を細めながら中澤さんが話してくれた。
「無駄になるかもしれない。けど、いろんな種を撒いたわけですよ。言葉で、行動で。その種だって雨が降ったら流れちゃうし、鳩が来たら食べられちゃう。そう思いながらも、怪我すんなよ、誰かに迷惑かけないでよ、税金払えるような大人になるんだよって種を撒く気持ちで接していました。
それが一番形として伝わったのが、カレーなのかもしれない。最初はお腹が空いた子に出したのが始まり。そしたら、その子が『中澤さんとこでカレー食べた』って周りの子に言ったみたいで、『俺も食べたい』とか『今度仲間と食べに行っていいですか』とか、広まっていって。そのうち誰が食べれなかったとか呼ばれなかったみたいな話になっちゃってね。じゃあいついつに公園で作るからみんなで食べよう、ってイベントみたいになって。
その頃にはね、保護司カレーとかナカザワカレーなんて呼ばれてました。1番最初はおばさんカレーだったっけな。ある時、食べに来た中の1人がね、『これは更生カレーだ』って言ったの。いつしかカレーを作る会には100人、200人、300人と人が集まって、大人になったみんなはお米やお肉を差し入れてくれたりする。F君なんてね、最後の皿洗いまでするんだから。そういう姿を見た下の子たちは、そりゃ張り切って片づけてくれるようになる。私はそれを見るのが嬉しくってね」
そんな話をたくさん聞いていくうちに、安っぽい言葉になって申し訳ないんだけど結局は愛なんだなって。暴力や報復にも連鎖があるように、愛にも連鎖はあるんだよなってよ。
もちろんD出身者が全員更生してますなんてとんでもないトバシを書くつもりないし、出身者には現役のヤクザだっているよ。サンシャイン60事件だって記憶に新しい。真面目に働いて一切の悪さをせずに納税している大人もたくさんいるとしてもだ。
それでも中澤さんがいた今の世界線と、もしも中澤さんがいなかったらという世界線を想像の中で比較すると、俺は今の方が断然いいなと思ったよ。
少年たちが多感な時期に、中澤さんは愛を与えてきた。それによって憎しみの対象だった社会が少しだけよく見えた。それはそれでいいじゃんってね。
聞いてて一番響いた話は雪かきの話かな。
とある冬の日。江東区には大雪が降り積もった。
中澤さんがいつものようにベランダから駅前を見ると、二人くらいのDメンバーが小さな棒みたいので雪をかいていたそうだ。
駅前、児童館の前で入口の雪を掻きだしていたそう。中澤さんからすると、こんなチャンスはないと思ったそうで、すぐマンションの倉庫に行き、スコップを手渡した。
小さい頃、親が不在の子供たちは児童館に入り浸っていた。
たまたま大雪で、単車を走らせる事も出来ないし、溜まり場の駐車場も真っ白で座り込みも出来ない。そうなった時にする事の選択肢に「明日チビどもが児童館で遊ぶ時に困るんじゃねえか?」ってのが入ったんだろうな。
当時はやっと携帯を持ち始めてしばらくの時代で、中澤さんが何本かのスコップを手渡すと族が続々と集まる。今度は自分たちが暴れまくった小学校や中学校の雪をかいた。十数人でね。夜遅くに解散して翌朝も7時集合で雪かきをしたそうだ。
まあ不良ってちょっといい事すると普通の子がいい事するのの10倍くらい評価されちゃうからな。わかってるよそんなのは。
でも地域を暴れまわっていた危険集団Dが、率先して自らの意思で地域貢献しようとしたってのは、中澤さんの功績なんじゃないかと思う。
長くなったけど、これが今回テーマに掲げた「更生カレー」が産まれたいきさつ。
で、前述したようにF君やら法務省のお偉いさんだった人なんかの呼びかけもあって、この度、「更生カレー」を再現するべく、軍資金をクラウドファウンディングで集めることになったって話なんだ。
どう?賛否はあるかもしれないが、少なくとも俺は俺にできることをしたいって思ったんだな。中澤さんが作ったこの輪を広げれるならと、こうしてnoteに書いてみようって始めたらこんな長文になっちまった。
別にいいんだ。
元暴走族、前科前歴、それに血もあるのかな。
どうしてもそういうのにアレルギーがあるやつが多いのもわかっているし、このプロジェクトに結構否定的なコメントが寄せられてきちゃったりするにしても、それは別にいい。共感してくれる人も必ずいるってのを、俺はわかっているから。
まあこれ以上あれこれ書くのも野暮だから最小限に留めておくけど、中澤さんが話してくれた「更生」の意味も深かったな。
「よく聞かれるんです、更生とはなにかって。難しくて答えは出ないんですけど、更生ってね、犯罪とか非行から立ち直る言葉、代名詞みたいに使われてますけど…私なんか単純だからね、書いて字のごとく『さらに生まれ変わる』ってことだと思うの。みんな少しずつ少しずつ、いい方向に生まれ変わる。日々生まれ変わるみたいなイメージです。このプロジェクトがどんな風に展開していくのか、私には想像つかないけど、少しでも想いが広まってくれたら嬉しいです」
どこかで頑張っている「あなた」に、 ”更生カレー”を届けたい
中澤照子さんのプロジェクト、応援よろしくお願いします。
※5000円以上支援してくれた人には俺から別でオリジナルキーホルダーをプレゼント。支援画面のスクショをTwitterの https://twitter.com/StudioSokai までDMください。
俺にゼニなんか投げるならコンビニの募金箱に突っ込んでおけ。 ただしnoteのフォローとスキ連打くらいはしておくように。