
Naomi Osaka, Japan. を多様性の象徴扱いしてアガリ。な気分への違和感はワイオミング州の高校の音楽の先生が作詞作曲した『レインボー・ドリームズ』がよく表していましたという話(そんな曲はない)
いち大坂なおみファンとして、彼女を多様性の象徴として神棚にお供えする気持ち悪さについて考えたい。
もちろんね、日本人じゃねえよ。ってコトバよりは何百万倍もマシですよ。彼女は日本社会が多様化しつつある象徴だよね、って言うほうが。
でもそれって彼女の出自に対する-どう表現するのがいいのか-異形性に対する畏怖? 「自分たちとは違うもの」を指して「多様性」って言ってる感が否めない。そう思いません?
その発想だと、どこまで行っても・いつまで経っても「自分たち」と「自分たちとは違うひとたち」って二分法から抜け出せないじゃないですか。
分かりやすいので、「多様性」のちょうど裏側にある「純日本人」ってマインドのことも少し考える。
自分たちとは違うものを認めない純血主義者がなおみ姐さんを毛嫌いするのはBLM以降、実にヒドいありさまですけど、誰しもどこかに何かの限界はあるものだから、認めりゃいいと思うんですよね。俺には受け入れられない、って。
たとえば寿司職人は純日本人じゃないとダメだわ、ってひともいれば平気なひともいる。
アンチの人々って「ダメだわ」からひとつ歩を進めて、抹殺を試みるじゃないですか。お仲間を誘って。あの攻撃性は何なんですか。
怖いの? 何が? ほかのひとが受け入れているのに、自分の器の小ささを暴露されることが?
……まあ、認知の異なるひとの説得を目的に生きるほどヒマではないので、だいたいいつもこの辺でアンチのひとのことを考えるのは止めてしまうんですけど。
ただ、自分が受け入れられないから他人も受け入れるべきではない、って展開は無理があると思います。あと俺の好きな寿司屋を攻撃しないでくれたまえ(架空の店だけど)。
さて、それでは「アンチなんてとんでもない、好意を寄せていることを表明しているじゃないですか」って、なおみ=多様性の象徴派各位の話に戻します。アメリカの田舎を舞台にした翻訳ミステリー・シリーズの最新刊『越境者』を読んでいたんです。
主人公ジョー。3人娘のうち、いちばん下の子がハイスクールの友達をふたり連れてきて、ミュージカルの練習をしているとかいうシーン。新しい音楽の先生が作詞作曲した、その『レインボー・ドリームズ』にいわく
黒、黄、茶、白
多様性こそ世界を正しく見せるもの
多様性、たーようーせいいいい
正しいことも間違っていることもない
わたしたちを強くするのはわたしたちの異なる文化
多様性、たーようーせいいいい
消臭力。ぐらいのリズムでサビの部分を読んで笑っていたのですが、原文はこんな感じらしい。
Black, yellow, brown, and white
Diversity is what makes the world seem right
Diversity, Dee-verse-i-teeeeee”
There is no right, there is no wrong
It's our different cultures that makes us strong
Diversity, Dee-verse-i-teeeeee
(なるほど「ディ」バーシティ)
ジョーはたじろいだ。「歌詞はあれだけなのか?」
メアリーベスは夫の肩を叩いた。「きっともっとあるわよ」
「そうだといいが。だって、おれたちは正しいことと間違っていることがあると信じているじゃないか?」
「ぶつぶつ言わないの。三人が上手に歌っていることに感心してあげて、なにを歌っているかじゃなくて」
この歌を眺めていて我に返ったのは(曲は作者のでっちあげです、念のため)社会が多様なのは当たり前だし、人間が多様なのも当たり前だし、大坂なおみというひとりの人間に表層を背負わせてアガリって安直な考えは危険だ、って私が言おうとしていることだって猛烈に当たり前じゃないですか。
でも、俺たちは時々忘れそうになる。
社会が多様なことを。
人間が多様なことを。
……3番目は長いから省略。
重要なのはメアリーベスぐらいに肩の力を抜くことじゃないですかね。
「多様性」ってことばが出来たから、みんなちがってみんないい。ってことになったか? 違うよね、もともとあった状態に名前が付いただけですよね。それを錦の御旗にしすぎでは。
奇しくもそんなようなことを、私の推しである大坂なおみというひとも言っています。
I'm proof that the definition is bigger than people think.
(みんなが考えるよりことばの定義って広いのよ、私がその証拠)
「オリンピック選手とは〇〇であるべき」って世間のイメージにおさまらない自分を見て、非難するひともいっぱいいるけど。って自分と似た立場の女の子たちに向けたメッセージで、あなたが期待に応えられていないって言われたら、相手のほうを変えちゃう選択肢も考えていいのよ。つまり彼女は俺やあなたの多様性のためになんか生きてないことがよく伝わってくるのです。
多様性ってことばに縋るのはそろそろやめたほうがよさそう、ですよね。
私は今後「たーようーせいいいい」って読むことにしよう(適当)。