週刊「外国人就労関連ニュースまとめ」(20.11.1-20.11.7)
今週は本当にロクでもない日が続いて、厄年だった頃を思い出しました。お祓いに行こう……。
■先週、大々的にとりあげたし追記することもないし、世の中の熱がさめつつある気もするし(早いねえ)そっとしておくべきなのかもしれない。と思いながら、ベトナム人が豚を盗んで解体して売っているのでは。という件。
本事案、ここまでの個人的な感想。
・入管難民法違反で逮捕したうえで、と畜場法違反であらためて逮捕。ってずいぶんカジュアルに別件逮捕が使われている印象
・いまのところ「容疑者」であることを報道が忘れすぎでは
・繰り返しますけど、「入管難民法違反の容疑者」を凶悪犯逮捕の瞬間。みたいなプレゼンテーションで煽ろうとする姿勢は将来に禍根を残すと思うの
そんなこんなで、一連の報道でいちばん個人的に共感できたのは専門紙「日本農業新聞」の、次の記事でした。
住民は「4人が悪いことをするような若者に見えなかった」と口をそろえた。朝に作業着を着て自転車で出勤する姿を見ていた人は「心の中で応援していた」とも言った。ベトナムでは家畜を自宅で解体する習慣があり、と畜場法違反容疑での逮捕には同情の声もある。だが、窃盗はベトナムでも犯罪であり「盗難に関与していれば、きちんと罪を償ってほしい」と訴えた。
10月30日。4人が暮らしていた部屋のテラスに、プラスチック容器で育てられていたディルやミント、レモングラスなどベトナム人が好む香草が風に揺れていた。県警幹部は「技能実習生たちは日本で技術を学ぼうと真剣な思いでやってくる。4人も同じだっただろう」と語り、犯罪に手を染めた動機や背景の解明が鍵になると言った
■しかし野次馬根性をかき立てる事象は、いろんなことをいろんなひとがわーわー言うとります。って状況に簡単につなげてしまうものなんだな、とあらためて。
時代背景に応じて「鉄板で批判していい対象」は生まれ、死んでいくものですが、昨今の技能実習制度と入管、完全にそのゾーンに入ってますよね。そして今般の一連の報道を受けた「ベトナム人」のイメージも圧倒的/加速度的に悪化しているのは、たぶん気のせいではなく。
技能実習制度も、入管も、ベトナム人による犯罪容疑も、エンターテイメントとして消費するだけでいいわけがないと思うのです。
紀元1世紀のローマ帝国におけるコロッセオじゃないんだよ。
■法務大臣の閣議後記者会見の書き起こしをご紹介。
国連人権理事会恣意的拘禁作業部会の意見書等に関する質疑について
【記者】入管の問題で質問させていただきます。先日,国連人権理事会の作業部会で,2人の難民申請者の個人通報に対して,恣意的拘禁に当たるという意見書が日本政府に送られてきたわけですが(中略)日本政府は,7月に作業部会に対して,「国内法に従っているので,恣意的拘禁ではない」と回答されているのですが,恣意的拘禁ではないと言い切るその根拠は一体何なのか,大臣はどのように受け止めていらっしゃるのか。
仮放免の運用状況等に関する質疑について
【記者】(前略)今のコロナ災害の中で,現在の長期収容や仮放免,在留特別許可の方針が,非常にバラバラで基本的な指針がきちっとできていない。仮放免したらしっ放しという状況がずっと続いていると思うのですが,これについて大臣は,就任されてから出入国在留管理庁の方から報告は受けているのでしょうか。そういった実態を知らずに,国連の人権勧告の受け止めとか,入管法の改正の対応はできないと思うのですが,実態把握について大臣はどのように行われているのでしょうか。
記者の質問だけを引いて、肝心の法相による回答を紹介する気になれない理由は、元テキストをご覧いただければお分かりいただけると思います。
そして、そんな感じのまま、あらかじめ引かれたスケジュールにのっとって入管法改正へ突き進む俺たち。
■今週、自分のタイムラインでいちばん反響があったのはこの記事でした。
私たちはしばしば、法律を作れば世の中は良くなると考えているが、法律だけでは職場の差別はなくならない。社会通念が変わらない限り、外国人の訴えがないがしろにされるからだ。だからこそ、差別禁止の明確なルール作りを各職場で行う必要がある。だが、それを実行できるのは国ではなく、私たち労働者なのである。「差別はいけない」という理念だけで抽象的だったものを、争議を通じて、職場の規範として具現化していくのだ。
■最後、伝え方がちょっと面白かったニュース。
東京都は、日本人が3世紀以降から主言語として使用しており世界的にも複雑とされている日本語ではなく、一般都民が日本に住む外国人とコミュニケーションを取りやすくするために『やさしい日本語』を都内全域に普及させる取り組みを進めている。
普通の日本語ではない「やさしい日本語」。
いや、細かいことをとやかく言うまい。国籍がどうあれ、母国語がどこであれ、共に生きていく以上はコミュニケートしなければならんわけで。
お互いに歩み寄る必要は、絶対にある。記事にも、言及されている東京都の方針にも、賛同します。