聖アンデレ(3-B) 教団運営を託されて
イエスが聖アンデレに託したこと
イエスは、洗礼のヨハネの教団が解散させられた後、自己の布教を満足のいく形で遂行するためのパートナーとして、まず第一に聖アンデレに声がけをしています。そして、聖アンデレの眼鏡にかなった人物(ペテロ、聖フィリポなど)を教団に採用しています。
この経緯を見る限り、イエスは、聖アンデレに教団経営をゆだね、自己は布教に専念しようと考えていたのではないかと思われます。換言すると、イエスは、「神殿との対決」に向けて万全の体制をとるために、教団の組織作りと運営を聖アンデレに託したのです。
なぜ、イエスは、聖アンデレに声がけしたのでしょうか。
二人ともヨハネ教団にいたことを踏まえると、イエスは聖アンデレの力量や人柄をよく見て知っていたでしょう。洗礼のヨハネの教えの核心を共有している仲間であり、かつ、自身のリーダーシップを最善の形で活かしてくれるマネジメントを託せる人として聖アンデレを見込んだのです。とすると、聖アンデレはヨハネ教団においても、組織運営の業務に携わっていたものと推測されます。
洗礼のヨハネに受けた薫陶
さて、洗礼のヨハネの活動した場所は、アル=マグタスと言われています。2015年に「洗礼の地ヨルダン川の向こう側、ベタニア」(アル=マグタス)の名で、世界遺産に登録された場所です。ここは、ヘロデ王の領地であるペレアの領域内で、ヨルダン川の下流にあり、預言者エリヤが昇天した「エリヤの丘」の近くにあります。丘に残る修道院の遺構の区域と、聖堂、洗礼の池、巡礼者・隠者の住居などの遺構が残る川沿いの区域が、ワディ・カラール(Wadi Kharrar)と呼ばれる小川で繋がっています。ここからは、大きな3つの水槽が発掘されています。
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ここには、洗礼のヨハネの下、教団関係者、居住または長期滞在する修行者たち、旅のような短期滞在の巡礼者たちがいたと思われます。
そうしますと、居住する修行者たちに対する日常的な世話に加えて、短期滞在者たちを迎え入れる施設の運営をしなければならなくなります。当然、トラブルも多かったことでしょう。居住区域と短期滞在区域を分けていたかも知れません。食事の手配や準備だけも大仕事だった可能性があります。水槽もあるため、衛生環境にも気を使わなければならなかったかもしれません。沐浴施設の整備・維持は、大人数を必要とする大変な力仕事だったでしょう。(テクトンだったイエスも、この力仕事に精を出したのかも知れません。)短期巡礼者が増えた場合、沐浴施設を利用する順番などを決め、徹底させるだけでも相当な苦労があったと思われます。
聖アンデレがヨハネ教団の管理部門で重要な人物だったとするならば、遺構などから判断する限り、現在でいえば、教会に加え、ホテル部門、レストラン部門、賃貸マンション部門を含む複合型施設(イメージとしては、大型リゾート施設など)の統括管理者のような職務についていたということになるでしょう。 つまり、聖アンデレは、経理・財務・総務・庶務に加え、洗礼・沐浴の時間管理、クレーム対応、トラブル処理までを幅広く担っていたことになるでしょう。
ギリシア系であり、ギリシア都市をめぐって布教していたことを考えると、聖アンデレはギリシア語も話すことができ、通訳としての才能も買われていたのかも知れません。聖アンデレは「複数の言語を不自由なく話せる、マネジメント能力の高い人」だったと推測されます。
優れたマネージャーに求められる資質
マネージャーは、リーダーのビジョンを実現させる人物です。リーダーはビジョン示し、人々を次の時代に導こうとします。しかし、ビジョンだけで動くとは限りません。やはり計画や仲間が必要となります。マネージャーは、リーダーのビジョンを計画に落とし込み、計画を実現し成果を上げるための活動と、メンバーが調和を保って活動するための組織活動を両立させる要となる人物です。
マネージャーは、リーダーの意思を踏まえ、リーダーのビジョンを実現するための目標を設定し、その実現のための課題を抽出して、期限を設定し、計画を立てます。そして、その計画を実現させる責任を負います。
マネージャーは、目標と現状との差異を把握し、現時点で出来ることから一つ一つ課題の解決を図ります。そのためには、継続的に、メンバー個々人の力を引き出し、協力を得て総合させていくことも必要になります。信頼を得るだけの人間性、成功にむけて努力する真摯さに加え、先を読む洞察力、人を説得するための信念やテクニックも備わっていることが求められます。
しかし、「言うは易し、行うは難し」です。リーダーがマネージャーのやることに口を出し、優先順位を変えるよう命令する場合が多々あります。マネージャーの予測範囲内であれば計画の修正で済むでしょうが、そうでない場合もあります。マネージャーの機能を理解しないリーダーの下では、組織は、そのリーダーの活動範囲を超えては機能しません。リーダーの理想の達成をリーダー自身が阻害してしまうのです。部下についても同様です。部下がマネージャーに協力しようとしない場合、計画が素晴らしくとも実行は困難です。成果の達成どころか、組織の維持すら望むべくもありません。
マネージャーの地位に就くことは出来ても、マネージャーの機能を全うするのは、非常にむつかしいことなのです。
聖アンデレの適合性
既にみた通り、イエスは洗礼のヨハネの教えの核心部分を忠実に守っていたと思われます。洗礼のヨハネの弟子で、その後イエスを支えるCFOとなった聖アンデレも、イエスと同じく、ヨハネの薫陶を受け、その教えを共有して布教のための活動にいそしんでいたことでしょう。そして、イエスも聖アンデレを深く信頼していたことでしょう。
その聖アンデレは、どんな人だったでしょうか?
いままで見てきたところから、次のような人物であったと言えるでしょう。
イエスとは、洗礼のヨハネ教団の同僚としてともにヨハネの薫陶を受けた間柄であり、相互に信頼関係があった。
洗礼のヨハネ教団において管理部門の多岐にわたる業務に携わっていた。(食事の準備など、イエスに質問された時には、部下の聖フィリポともども、直ちに答えられるようにしていました。常に準備と配慮を欠かさなかった様子が見て取れます。)
良いものを人に伝えることをためらわない。(例えば、異邦人に師を引き合わせ、師の言葉を伝えるための信者間の心理的な壁を取り払った。)
ルールを作り守る側でありながら、ルールに縛られず、人間を大切にしている。
人望があり、コミュニケーション能力が高い。(例えば、2匹の魚と5本のパンの逸話など。)
以上から、聖アンデレには、充分にマネージャーとしての資質があったことが分かるでしょう。
さて、マネージャーの機能に「目標設定」があると先述しました。聖アンデレの場合、それは、どのようなものだったでしょうか。そして、それは、どのような形で教団運営に反映されたのでしょうか。
不条理に立ち向かう
目標の設定においては、自己の置かれた状況を冷静に見極めることが重要です。というのも、したいことを中心に計画を立てるよりも、外部環境を踏まえて、出来ないこと、してはいけないこと、あってはならないことを見極め、それを制約条件として、達成したいこととの折り合いをつける方が計画は立てやすいからです。
そして、この「あってはならないこと」は分かります。洗礼のヨハネがヘロデ王に処刑されたように(または中世における魔女狩りのように)、いわれのない理由で「イエスの活動が強制的に停止されること」そして「イエスが処刑されること」でしょう。
イエスを中心に、本当の神の教えを伝えていくということは、多数派ユダヤ教徒たちのいる場所で、多数派(つまり、他人の主張に無関心でいても良心が痛まない人々)をも対象として、自らの主張を伝えていくことでもあります。強権による布教禁止という不条理を恐れつつも、人びとの連帯を勝ち取ることが可能か? どのようにすればよいか? この点が課題となったことでしょう。
この点について、参考となりそうな考え方を見てみましょう。
ノーベル文学賞を受賞したアルベール・カミュというフランスの作家の名前を聞いたことがある方は多いでしょう。第2次世界大戦中、ナチス軍に占領されたパリで、レジスタンス運動に参加した経験があり、病気、死、災禍、戦争、全体主義といった不条理・暴力に対して、人間が人間らしくあるとはどういうことかを考え抜いた人文主義者(ユマニスト)です。自分にできることを地道に実行することの中にこそ希望があると喝破し、思考停止を招く上位概念(宗教、イデオロギーなど)を妄信することを拒絶しました。
世の中の不条理に立ち向かう人が増えることで、人は孤独から引き出され、連帯することが可能となる。こうして、デカルトの「われ思う、ゆえにわれ在り」(コギト・エルゴ・スム)を踏まえつつも、カミュは、「われ立ち向かう、ゆえにわれら在り」と単数形で立ち向かうのにも関わらず、存在が複数形となる可能性を見出しました。
多くの人々が否応なく向き合わなければならない社会状況は、たいていの場合、仕方ないものとして諦めの対象になっています。それが多数派を多数派をたらしめ、少数者を無視・排除し、制度を存続させる力になっています。当時、モーセの律法は実態において守る者は少ないのにも関わらず、制度上は全員が守っていることが前提とされていました。つまり、できないことが制度の前提となっているという意味で、当時の多数派ユダヤ教は、ある種の政治的イデオロギーの一種だったと言ってもよいでしょう。「これは仕方ないことだ、そういう時代だ」という諦めに適切に立ち向かうことができれば、それは、同じような違和感を覚えている人たちを連帯させるきっかけになるはずです。
幸い、イエスの側には、「真の神が与えてくれた「真の生」に目覚め、アブラハムの律法に立ち戻れ」という大義がありました。当時の「多数派ユダヤ教」「モーセの律法」という政治的イデオロギーに対し、「真実の生」の実現のために、「真のユダヤ教」を味方につけて立ち向かうのです。そのためには、「真実の生」を希求する人たちとの連帯、当時の社会のあり方に違和感を覚える人たちとの連帯を図ることが求められます。
目標設定と組織のあり方
発足当初(教団としての体制整備前)のイエスや聖アンデレに出来ることは限られています。
布教の目的は、神の国が来る前に、人々に、神との自分とのつながりを自覚させること。
その対象は、最終的には、すべての人類。(多ければ多いほど良い。)
この実現のための第一歩としては、「真実の生」を希求する人たち、そして、当時の社会のあり方に違和感をもつ人たちを見出し、連帯することが目指されたことでしょう。
しかし、多くの人々がイエスの居場所に来訪する形をとると、洗礼のヨハネと同様、当局から反乱準備、治安を乱す存在として目を付けられ、活動が阻害される危険があります。
そこで、自分たちから各地を巡るという手法を採用することになったものと思われます。中核となる組織は出来る限り軽いものとしつつ、各地で信者コミュニティをつくり、イエスの教えが各地で自生的に広がっていくことを目指したのではないでしょうか。
洗礼のヨハネの教団は、ヨハネ処刑後に解散させられ、信者たちは故郷に強制送還されたと考えられます。洗礼のヨハネの下には「エルサレムとユダヤの全土とヨルダンの全流域から」人々が集まった(マタイ福音書3:5)とされています。そのため、不幸中の幸いで、信者の強制送還によって、洗礼のヨハネの高弟としてのイエスを見知っている人々は、各地に点在していたことでしょう。これはヨハネ教団のネットワークであってイエス教団のネットワークではありませんが、布教対象としてのあたりをつける意味で参考になったのではないでしょうか。
なお、ここには、いわゆるキリスト教的な怨恨(ルサンチマン)感情はありません。黙示録で定型化された「絶対的な力をもつ神が、いつの日か悪い支配者たちを罰して、われわれを救済してくれるはず」といった構図は、後代になって発生した教義で、イエスや聖アンデレには、そのような考えはないからです。
むしろ、われわれの住む「神なき世界」に対し、本当の神の教えを伝えるために、イエスや聖アンデレには、(結果がどうなろうとも)自らの信念に従い、真摯に、自ら動く必要がありました。当時のイエス教団には、まるでベンチャー企業を創業する時のような、前向きな気概があふれていたと思われます。