松下美術館
去年のいつ頃からか、ずっと頭の中に浮かんでいる光景がありました。
何かが栽培されている山々の中に「ぽつんと一軒家」ではないけど、そんな感じでホスピスのような施設がある。眼下にはすぐ海があり、とても穏やかな雰囲気で、まわりの風景とうまく溶け込んでいる感じ。私がそこで人生を終えるのか、そんなところに関わるのかわからないけど
”あ、そういえばそうだった”
こんな記事を書いていたことを思い出しました。
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その日、前回書いた私の体をカウンセリングしてくれる実咲さんとなぜか山か海か?のような話になり「福山町は両方あるよ」と彼女が言ったんです。
あ!そうだ、そうですよ!鹿児島の瀬戸内だ。
鹿児島県福山町は海からすぐ山という地形。
*真ん中の島は桜島。最近は毎度噴煙があがってます。
三方を丘に囲まれて南向きなの斜面が多いため、温暖な気候を利用した黒酢作りが昔からさかん。というか鹿児島ではピンポイントでここだけしかやっていないです。
黒酢の微生物たちに適した土地柄。
ちなみに黒酢、飲んだら私の体はとても喜んでくれるのがわかります。いやっほう!って。高いので我が家ではめったにお目にかかることはありませんが。
昨年、友人となぜか福山町に行ってみようということになり、ほんの少し時間でしたが車を走らせたときに ”ここは何なん?なんかある” って不思議な感覚があり、それがずっと残っていので確認するためにも再訪。
鹿児島の人もわざわざ福山町に行こう!とはならない、なかなか動機が見つかならない小さな町。そんな田舎まちに松下美術館があります。
美術館と同じ敷地に病院と高齢者の施設があるんですが、トータルになってて車を降りてすぐにこのホスピタリティーはなんだ?と驚きました。こんなところが鹿児島にあったの?
もしかしたら日本でもめずらしいんじゃない?
地方のさらに田舎の方にある美術館の多くは人を呼び込むために観光施設とセットになっていることが多い。(それを否定はしません)
この美術館の展示品の熱量がものすごい!日本画からピカソ・モネ・ルノワール、ギュスターヴ ・ドレ(名前まちがってたらごめんなさい)etc、まさか福山町で見れるなんて、のラインナップ。
ラウル・デュフィ という人の
「ノルマンディの風景」という作品を初めてみたんですが、自由な感じにとてもひかれました。色の幅というか、線の柔らかさというか。
絵画以外にも中近東資料館もあり、これがまたおもしろい。
もちろん大きな博物館の展覧会には劣るでしょうけど、個人でこの装飾品や土器や石像までも集めてきたなんてスゴすぎます。
展示品の鑑賞よりも、収集するまでのストーリーとかロマン?のようなものを想像することに必死になってしまい、そこに立ち尽くす時間が長くなっていました。
他、南九州のお面の資料館もあるんですが、どうやら鹿児島・宮崎はお面の文化が濃いようで(知らなかった)圧巻でした。もしかしたら泣き出すお子さんもいるかもしれません、私も夢に出てきそうって思うくらい表情が濃いものばかり。(老人のお面、いる?いらんやろ?こっわいわあ!って突っ込んでました)
茶室もあり、鐘もあって、猫はまったく動じない。
6号館まであるので、
路地を歩いていたら、ここはヨーロッパの修道院かホスピスか?(行ったことないんですけどね、映像でしか見たことないけど)そんな聖域のようなものを感じました。心から癒されるかもしれないと思えたり。
あとで知ったんですが、2号館は核シェルター!
核シェルター、人生初です。確かに扉は重く、物々しい感じがありましたが、入る時にヨーロッパの聖なる人が壁にいらっしゃったのでやはりそこも聖域でした。
ここはいったい・・・。
まったくの
予備知識なく行きましたが、最後に入った6号館にさりげなく初代館長の言葉がありいろんなことが納得。初代館長・松下兼知は医師だったんです。
絵が精神障害をもった方の心のどこかに通じるものがある、という思いで財産を投げ打って絵や古代土器を買い集めたそうです。
こちらの全文を読んでいただけたら、なぜ核シェルターなのかという理由もわかります。
ここ、ほんと何?鹿児島?美術館から見えた遠くの山頂にこちらを見守るように十字架も。私は前世のひとつとして、ヨーロッパの従軍看護師?のような役割として動き回っていたこともあるようですが、その時の記憶が
出てきたのかわかりませんが懐かしい感じになったんです。どうか世界中の人々を・自然をお守りください、とお祈りをしてしまいました。
現館長はすぐとなりの福山病院の院長さんなのでしょうか、HPにある挨拶文がわかりやすかったのでリンクをはらせていただきます。
一部抜粋
他方、開設者である松下兼知は、本来幼少児より、絵に対する興味が非常に強く、長崎医大時代も児島善三郎に絵を習い、いろいろ、日本や外国をまわる時、矢立てを持ってはスケッチをしておりました。
その後この興味は絵画にとどまらず、出土品にも広がり、ヨーロッパを旅行しているとき、田舎にもすばらしい美術館があることに感銘し、昭和58年に財団法人松下美術館を設立しました。
松下家はみかん農家だったようです。みかん畑の一部に最初の病院を設立していますが、
冒頭に書いた
私が頭の中で見た・ふと出てきた風景は、もしかしてそれだったのかな?とか思っています。
ここにつながったのかな。
松下兼知さん、そんな人が鹿児島にいたんだ、、、個人でヨーロッパまでオークションにいき、集め、
これだけのものをよく作ったなあと、
私の中で西郷隆盛さんよりもすごい鹿児島の偉人となりました。
もちろん、大財閥が経営している美術館のようなコレクションではないかもしれませんが、ミュージアムショップもありませんが、ここは設立者のおもいと、アートというもの・一枚の絵が与える影響というのを静かに確かに感じることができる美術館。
あまり知られたくないけど、たくさんの人に知ってもらいたいところってある。
福山町はそんなところ。目には見えない何かが確実に存在しており、もっと選ばれていい土地ではないか、となんだか小さな確信が出てきてます。
関係はないのですが、この記事を読んでくれた方がこの曲で癒されますように。