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リア充、ですがなにか?

「写真作品」を撮るのはやめよう。
写真家と名乗るはやめよう、と決めてから(というか自然とそんな強い気持ちになった)写真との向き合いかたがずいぶん変わりました。
当たり前かもしれませんが。

撮り方は変わらないかもしれませんが、意識が変わり改めて気づいたことが
「”写真”って写真家やカメラマンのものだけじゃない」ってことでした。

それも当たり前のことなんですが。

でもこの感覚は、心境は、おそらく本気で辞めた人じゃないと確信できない奥深いことだと思います。

写真家の時は作品と向き合い、「とりあえず撮りまとめたんだけど、世界はこんな感じじゃないかと。」とどこかぼーっとしてる感覚がいつの間にか続いてました。
(もちろん、作品を作ってきた時間はそれはそれで充実しとても貴重で、積み重ねてきた経験は何ものにも代えがたい。)

今は、ここに文章を書いているにも関わらず、
相変わらず言葉を並べることに”苦労”しているのですが、
写真は自分が、いい!と思ったこと・もの・人を好きな角度で光で
”楽しく” 根拠はないけどちょっと確信めいてみんなに見せることができる。それはSNSの存在も大きけど。

発信している自分が楽しくいたいと思っており、そうすることでみんなが心地よく生きるきっかになってくれたり(ラクして生きるということではなく)、こっちにはそっちよりいい風が吹いてるよ、と少し風向きが変わってくれたり、もともと ”いい”もの がさらにキラキラと輝いてくれんじゃないかと。

著名な方や、SNS上で影響力があるインフルエンサー的な人がやると共感だったりイヤミがないことも、私のように何物でない人間がやると 独善的というか
 ”リア充” になりがちなことも、
(リア充って年々使い方が変わってきてるらしいです)
それがなにか?  
とは
まだなかなか言えないが、新しい生き方のモデルを自分で作り上げていこうと思っています。


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