真穴・真網代・志布志 その2
・真穴(まあな)
前回の続きです。
真典さんが真穴地区の歴史を長年調べていることは前回書きましたが、とある古文書とずっと向き合っておりそれがとても重要な資料であることを証明するためにも、いろんな答え合わせというか事実確認を兼ねて、尋ね人Kさんのご親族が志布志にいらっしゃる確証が必要でした。
その尋ね人Kさんのご親族があっさりと見つかり、すぐに真典さんにメールを送ったところ、うれしさで ”天にも昇るおもいです” と返信が。メールの文字から喜びがあふれ出ています。
”天にも昇るおもい”、よく聞く言葉だけど実際、誰かとの個人的なやりとりで言ってくれた人はいたかな?いや、いない・・・、初めて。
その夜、私は少しの高揚感が残ったまま床に着いたけど、真典さんは寝れたかしら?と気にかけながら。
・真網代(まあじろ)
2020年11月。私は二ヶ月間真穴みかんの選別の短期アルバイトをするために、PCR検査を無事にパスして真網代入り。
志布志で案内人のYさんが作ってくださった、尋ね人K家の初代から現在までの家系図を渡すためすぐに真典さんに連絡。やっぱり私はここの海が好き、そんなことを思いながら海を右手に車を走らせる。
みかんの収穫が忙しい時期でしたが、山からすっとんで降りてこられた様子で体はお疲れのようでも、目をキラキラさせながら家系図を受け取っていただき私は”天にも昇る”まではいかないけど、そこで初めて真穴という土地と出会えたことが心からうれしくなりました。この地と自分がつながったような、この地を愛せるかもしれないと少し思えました。
・志布志(しぶし)
2020年12月末、私が真穴を離れる前日、真典さんが今回の調査でお世話になった方々へのお礼としてみかんを渡したい、用意して玄関先に置いておくので持って行ってくださいと告げられていたので、夕方むかう。え?これ?まさか!?
用意されていたのは思っていたより大きなみかん箱4つと自家製みかんジュース。
鹿児島に戻った次の日、さっそく案内人のYさんと尋ね人Kさんのご親族に配達。
突然の贈り物に戸惑いながらも、おいしい真穴みかんにとても喜んでいただいた様子でした。そして、最後の配達先。
志布志でお茶屋さんをやっていらっしゃるところへ。
Wさんとします。
今回の調査でWさんも重要なお名前でした。Kさんと一緒に真穴から志布志たどり着いたトロール船に乗っていらっしゃったんです。志布志で緑茶の畑を始めて、今ではこの街でW製茶を知らない人はいないと思います。それでも私はお店に入るのは初めてでした。
出てこられたのは、Wさんのお孫さんに当たる方でご高齢だったためゆっくりと突然の訪問を説明しようと思いましたが、私が八幡浜市・真穴という名前を出した途端にWさんの目が大きく開きました。
Wさん:ああ…懐かしい地名ですね。疎開していたんです。
真穴みかんは日本一だったんです。
私:はい、今も日本一ですよ!
Wさん:真網代と穴井、で真穴というんです。あ、でもなぜあなたはあそこに行ったの?
そりゃ、いろんなことが疑問です。まだWさんは動揺しながらも、私の説明を聞きながら少し眼に涙をためています。それはどんな思いなのかはわかりません。もちろん、私に説明できない過去のいろんな思いがあるのでしょう。でも久しぶりに、しかも突然懐かしい真穴みかんが届いたことを喜んでいらっしゃいました。偶然のような必然のようなつながりで、今、こうやってみかんを届けることができた。
どうしてよいかわからない込み上げる感情をそのままに、私はお店を出て真穴の海とつながっているであろう地元の海を高台から見下ろすために車を走らせました。密かに感無量で、車のハンドルをぐっと強く握りしめたのが自分でもわかったんです。それにしても私には個人史を貫くような出来事だったのでこうやって記事で残しておかなきゃと思い書いたんですが伝わったでしょうか?
真典さんのみかんジュースの波
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