『リスクを生きる』を手がかりに。ざっとでいいのよ編
本を読むとき、要旨をとらえることを習慣にしておられるでしょうか?
自分のテーマ、関心がはっきりあると、本を読んでも、最初から自分が気になるところだけを選んで読んでしまったりします。
ですが、やはり全体としての要旨は、きちんとつかんでおかないと、よろしくない、と思うようになりました。
理由は、本を読むときにいつも、自分の関心のあることにフォーカスして読む癖をつけると、人の話を聞くときにも同じことをやってしまっている!と指摘されて、気づけたからです。
自分の関心が高い部分を理解する際にも、著者は全体として何を言いたくて、この本を書いたのか?から大きく離れるのは危険なことがあります。
と、ここまで書きつつ、人の(自分のも)話を理解するって、骨の折れることだ、とあらためて思います。
で、とりあえず、おおまかにポイントをつかんだので、お次は、ディテールに入れます。
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・国文学者の折口信夫によれば、人間の知性には、「別化性能」と「類化性能」とがある。
もっとわかりやすく言うと、
『別化性能』とは、AとBのここが違う、と指摘する能力。
『類化性能』とは、AとBは、このあたりはおんなじじゃない?と指摘する能力。
要は、オタクと言われるタイプの人は、ディテール的知識をもち、細かい違いを追求していきます。
ですが、オタク・マニアからプロになるには、ミクロの「虫の目」だけでなく、高所から全体世界を俯瞰できる「鳥の目」も必要になってくる。
・細かい違いをあえて捨てて、本質的に重要なポイントをつかみとる「類化性能」(本質の抽出)も必要になってくる。
・たくさんの知識や技術を身に着けたあとで、「これとあれは大差ない」と
大胆に判断できないといけない。
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何か専門分野をもって仕事をしていると、ものすごく細かい部分を追うのはいつの間にか、得意になっています。
ですが、その分、全体を俯瞰して見るのが、とても苦手になっていたりします。
しかも、これはよく見えている人から、厳しめに指摘されないと、なかなか気づけない、気づいてもすんなりとは認められない。
コロナの対策を決める、未来の社会の方向性を示す際にも、細かい部分にとらわれず、
「ざっとでいいのよ」で、柔軟に調整しつつ対応していく方が、結果がよいのかもしれません。
今のところは、このやり方はあまり得意でないだけに、まずは変化できる柔軟性を身につけたいものです。