日陰のありがたい季節になると、必ず思うこと
樹木はうっとおしくて嫌い、という方が時々いらっしゃいますが、それでも暑くなると、自然と木陰を選んで歩くようになるはずです。
駐車場も、夏の間は、木陰から埋まっていきます。
まだまだ暑いとはいえませんが、日傘がないとつらいくらいの日差しはあります。
だから、大学までの通勤路にあるソメイヨシノの姿を見て、これらの木が作ってくれている大きな木陰を見ると、心底ほっとします。
特に、アパートの片隅にいるこの木は、ご主人様がとても大切にしておられ、この木の傍らに立って見守る姿を、何度か目にしています。
ときどき、電力会社などの人が、切らせてくれ!と来るようですが、いつもたくさんは切らせません。
いつもそれを見て、ほっとします。
このおじさまの気合には、個人的に感謝状を書きたいくらいです。
忘れがちですが、木陰のお世話になるためには、木なら何でもよいわけではありません。
強い剪定を受けていて、葉がろくにないような樹木だと、まともな木陰はできないんです…
今どき、大きな木、立派な樹木をお庭で育てるのは、たいへん気苦労が多いはずです。
だから、街でそんな樹木に出会うと、この木のために誰かが骨を折ってくれているんだな、とわかります。
このソメイヨシノのそばにいた大きな保存樹木のイチョウも、久しぶりに登校するとき、景色が変な感じがして、いつのまにか、いなくなっているのに気づきました。
私たちが木陰に救われるのは、木を守り育てて下さっている方のお気持ちやご苦労あってこそ。
大きな木陰に向かって思わず手を合わせそうになりますが、ちょっと怪しすぎますよね?