「楽しい」の次に、「変わった」と言ってもらえるように
何でもよいのですが、何か新しいことを始める時、楽しいことと、ちょっと辛いこと、両方あったら、どっちを選びますか?
と聞くと、最初から、今の自分にとって、つらく感じることを選ぶ人は、あまりいないのでは?と思います。
そういうこともあって、過去に受けたコミュニケーションのセミナーでの最初の問い、「自分のことをどう思ってもらいたいか?」には「楽しい人」と答えました。
自然を、環境を、木を大切にしましょう!なんて仕事を熱心にしていると、油断するとすぐに、うるさい人、うっとおしい人になってしまいますから…
それで、講師をしている大学でも、まずはこの分野・科目を学ぶのは楽しい、そして、大事だ、と思ってもらえるよう心がけてきました。
ですが、そのコミュニケーションの先生に、あるセミナーの日、突然言われて、びっくりしたことがありました。
「スーパー・ティーチャーになりたい?」「だったら、学生さんに、楽しいだけじゃなくて、変わった、と言ってもらえるようにやること」「そのためにも、学生の話をよく聞いてあげて」と。
この発言、きっと私が最初に言った「楽しい人」を覚えてのことなんですよね。
これには参った、と思いました。
そこからは、楽しいの次に、変わったと言ってもらえるよう、木のこと、自然のことを伝えていこうと思うようになりました。
そこから、最近の出来事を見てみると。
先日書いた松は、かつて本当にお世話になった上司の、早くなくされた父上の形見のような大切な木です。
今は、不調だけど、その原因は?できることは何?というのを聞いて、かなりすっきりし、納得できた様子でした。
そして、「これからは人任せにせず、自分でこの木のためにできることはやる」と力強くおっしゃって、道具もいくつか入手されました。
そして、まず、毎日毎日、木の様子を気持ちを込めて、見る。
これも、楽しいの次の変わった、と言えるかな、少しでも恩返しができたかな、とホッとしています。
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それにしても、です。
私の25年余りの仕事経験の中で、マツを剪定しすぎて枯れてしまった、枯れる一歩手前?くらいに弱ってしまった、という例は、何件もあります。
その枯れた木の1本は、やはり父上ゆかりの立派な松で、切りすぎ、と聞いて、おうちの方は泣いておられました。
街を見渡してみると、ギリギリの稼ぎで、やっと生きている木が少なくないです。
マツはお庭の景色で重要な役割を果たすだけに、極度に形を作られて枝葉が少なくなり、慢性的にエネルギー不足の木が多いです。
人から見た美しさを追求する、限られたスペースで維持するという、目的はあります。
ですが、そのマツが生き続けられていてこその美、なのも事実です。
どうか、人間の元から逃げ出せない生物が、健康と美を両立して生き続けられるよう、手入れのやり方も変わっていってほしいな、と願っています。