樹木に見習いたいこと
最初は、なんだかおもしろそう、
そして、植物の中でも地味な存在、
だけど魅力にあふれる樹木を守りたい、
という、今から思えば純粋とも言える
動機ではじめた今の仕事。
自然や樹木に関わる
心境やスタンスのようなものは、
時代の変化にともなって、
変化してきました。
ですが、「皮だけの木」のところでも
少し書きましたが、
木の生きる姿をみせてもらっていて
本当にすばらしいな、見習いたいな、
と思うところは、いくつもあります。
そのひとつは、
「淡々と、なすべき事をなす」ところ。
木をずっと見守っていると、
人間は、理解不足、
時として善意から、
木にひどいことをしてしまいます。
でも、樹木って、
起きたことを嘆き、そこに止まることを
知らない存在のよう。
他者でなく、自分に注意が向いたまま。
生き延びるために役立たないことには
少しも注意が向かないように見えます。
で、人間が、自然災害が、病気や動物が
自分にこんなことをした、
なんてことを少しも考えず、
少しでもよい状態で生き延びるために
必要なことを、ただ、ひたすらやる。
やり続ける。
そのムダのない生きる姿勢に
憧れます。尊敬もする。
「皮だけの木」も、
想像するに、最初は、
工事とか、自然災害とかで
幹や大枝に、大けがをしたのでしょう。
そして、あの姿から想像できるのは
かなり厳しい困難が、
何度も繰り返されたこと、
続いていたこと。
ですが、幹が折れないよう、
養水分や光合成でつくった糖を
運搬する経路を確保できるよう、
必要な部分に、材を成長させ続ける。
そうやって、生存が危機にさらされる度に
あきらめることなく、修復して修復して
今の姿になって生き延びていることが
想像されます。
ただひたすらに、その時、
自分に必要なことを
やり続けて行く。
困難を嘆く、思い通りにならないことに
時間や労力を使わず、
自分に今できることをやり続ける、
すがすがしさ。
木の魅力はたくさんあって、
ことばでは表現しきれません。
が、ひとつは、こういうところも
魅力かな、と思いながら、
木を眺めております。
よかったら、お近くに
古木・大木、お気に入りの木
(おかしな形をしている木がオススメ)
を探して、
ときどき会いに行ってみてください。
木は、何か大切なことを
身体で教えてくれるのではないかと思います。