講義用ノート コミュニティ形成の東南アジア史(3)古典的国家の形成
NUSでやってる授業をアレンジして日本語版を作るシリーズ第三回です。アンコール、パガン、シュリーヴィジャヤなどの東南アジアの古典的国家(後々の東南アジアの国々のモデルとなる古代国家)の形成についてまとめていきます。今の所読んだ教科書だと、「なんで古代東南アジアの人たちにとってインドとの出会いがそんなにエキサイティングだったのか」というのを臨場感を持って伝えられてない感じがしたので、第2回、第3回はそこを意識しました。
前回までの「コミュニティ形成の東南アジア史」シリーズ↓
第一回「シリーズ概論」. https://note.com/kishotsuchiya/n/n0efb8957dc94
第二回「東南アジアの地形、基層文化、神話体系」. https://note.com/kishotsuchiya/n/n89d0b5694ed4
序論
インドネシアに行ったことがある人は不思議に思うかもしれない。人口のほとんどがイスラム教徒やキリスト教徒なのに、どうしてヒンズー教のモチーフや叙事詩が一般の人たちに広く浸透しているのだろう。東南アジア研究のパイオニアたちが指摘してきたのは、こうした東南アジア文化における「インド化の深さ、イスラム化の表面性」だった。また、インドに住んでいた人ならば、「どうしてインドネシアのヒンズー遺跡では、インドにはいない神々が祀られていたり、ガルーダ像がやたら多かったりするんだろう」と頭を捻るだろう。
2020年の今では、東南アジアの仏教、イスラム教、キリスト教文化は独自の方向に深化を勧めており、外来宗教の信仰は「表面的」とは言えないが、それでも東南アジアが「インドの向こう」と呼ばれていたなごりはジャワの影絵、バリの町並みや祭祀、大陸部の仏教文化などいたるところで見つけられる。かつてはインド化の域外だと考えられていたフィリピンでさえ、ミンダナオ北部から土着のヒンズー風の黄金で作られた像が見つかっている(この像は、ジャワのヒンズー・仏教芸術と比べると出来が悪いので、いかにフィリピンのインド化が「表面的」だったかの例としても言及される。)。
<↑ミンダナオのアグサンで1917年に見つかった「アグサンの黄金像」9世紀、あるいは10世紀の作品と考えられてる。>
今回は、特にインドとの交流に重点を置きつつ、古典的国家(ビクトール・リーバーマンがチャーター国家と呼んでいるもの)を扱う。シリーズ概論でも書いたように、古代の東南アジアにおいて「国家」というのは、空間的には限られた地域にのみ発生した特異な現象で、特に人口密度が低い地域では国家は成立しにくかったということを頭に入れておいて欲しい。国家に慣れ親しんでしまっていると忘れてしまいかねないが、家族や部族の理念に対して、国家というコミュニティの理念は対立するものでもあった。
そして、大陸部における古典的国家であるアンコール王朝には、100万の住民がいたというが、国家を作るにはある程度の人口密度が必要だ。そのためには、飲料水の確保と川などの水源を原因とする災害をコントロールする必要がある。さらに、水を管理する知識と、奴隷や強制労働を含む大勢の人々を動員し、王権を正当化するためのイデオロギーが必要だ。そこで、東南アジアの人々が熱心に研究し、取捨選択しながら応用したのがインドの思想・叙事詩・文化だ。近現代では、さまざまな国々が欧米のシステムをモデルとしているように、当時はインドが最先端だと考えられていた。
日本の教科書では、東南アジアの古典的国家について「日本人にとってわかりやすいから」という理由でベトナムから始めているものがあるが、中国的な官僚システム・宗教・政治モデルを採用したベトナムは、東南アジアの古代国家としてはむしろ例外的なモデルだ。扶南、アンコール、チャンパー、パガン、シュリーヴィジャヤ、ダルマネガラ、シンガサリ、そして時代は少し後になるが島嶼部最大の帝国となるマジャパヒト王国など、歴史時代が始まってから14世紀頃まで、東南アジアのほとんどの国は、インドの王権思想・宗教・文化を主として参考にするべきモデルとしてきた。
「インド化」とは言っても、東南アジアは長期にわたってインドに植民地支配されたわけでもなければ、全く受動的にインド文化を受容したわけでもない。東南アジアの指導者たちは、自分たちに利用価値があるような面、元々の東南アジアの生活や世界観にフィットする面を好んで採取しつつ、自分たちに不利益が無い限りは、東南アジアの基層文化を保護・放任した。
今回のノートの構成としては、まず部族社会や都市からどのように国家が生まれたのかを追い、次にインドと東南アジアの土着の文化がどのように出会い・融合したのか考える。例として、ジャヴァの国々、シュリーヴィジャヤ、アンコール、そしてパガンについて参照しながら考えていきたい。
キーワード
文化:何ら家の形式によって表現される意味体系。
インド化:インドの文化形式が東南アジアに取り入れられていく過程。
土着化:東南アジア人たちが自分たちの世界観に適合するようにインドの文化形式を「選択的に」採取していった過程。
古代、古典的:東南アジアにおける「古代」というのは、大まかに言って西暦開始から14世紀の様々な国家の分裂までの時期を指す。「古典的国家」と呼ぶことにしたのは、リーバーマンが言っているように、これらの国々は、それぞれの地域で後の時代に国家建設のモデルとして参照されることとなった為。世界史的には、13世紀以降、モンゴル帝国との暴力的な接触で、日本・東南アジア・ロシア・西洋などの「古典的国家」は、14世紀頃にほぼ全て全滅する。
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