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我々の「またいつか」が店を殺すとして

明日死ぬかのように生きよ。
永遠に生きるかのように学べ。

マハトマ・ガンジー(諸説あり)

少し前、地元のイオンモールのフードコートが1つなくなった。
あっさりしているのに美味しいスープが特徴のラーメン屋が入っていて、それなりに繁盛しているように思っていたのだが、突然の閉店だ。

コロナ禍を経てイオン内に限らず、多くの閉店を見てきた。
そのたびに、経営の難しさを考えずにはいられない。

私のようなフリーランスのライターは身一つでできる仕事だが、店舗経営は材料費や人件費など、支払うべきものが多い。
どんなに人気の店でも、時代の流れに逆らえないことがあるのだろう。

それでは、どんな時代でも需要のある仕事とは何だろうか。

そんな話をすると大体、死と老いだと答えが返ってくる。
確かにこれは、誰も避けられない。
誰もが定期的に髪を切るから、美容院が不景気に強いのと同じ、いやそれ以上の確実な需要がある。

確かに近所にも、家族葬の店が増えてきた。
私もいつか世話になるのだろう。

「手堅く成功したいなら、葬儀屋か介護サービス」

そんな時代も来るのかもしれない。
(実際は、私の知らない難しい事情が色々とあるだろうが)

しかし、社会全体がそんな「食いっぱぐれない」仕事ばかりを目指すとしたら、果たして面白いのだろうか?

「飲食は今の時代厳しい」として、チェーン店ばかりになったら寂しい。
やはり、新しい店やそこでしか味わえない体験を求める気持ちがある。

ユニクロは便利だが、個人の趣味が出たセレクトショップにはワクワクする。
そういう感動を失いたくない。

しかしそれなら個人経営の店や、あのフードコートにももっと通って支えるべきだった。
なのになぜ、いつも「また今度でいいか」と考えてしまうのか。

忙しい毎日の中では、「遠くの個人経営の店より、近くのチェーン店」だし、「少し高めのランチより、手頃なコンビニ弁当」だからだ。

もちろんこのような理由で個人経営の店、チェーン以外の店が消えていくのなら、市場原理であり、当然のことなのかもしれない。
個人経営でも、やれている店はやれているはずだから。

それでも、空っぽのテナントやボロボロの店舗を見た時の寂しさは消えない。
これが、私の「また今度でいいか」が積み重なった結果だとしたら。
やはりやるせない。

失ってから大切さに気づく、というやつか。
少しでも好きな店には「また今度」を乗り越えて、通いたい。
そう思う出来事だった。

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