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理性でアニメを見ているオタクは楽しいのか?(自戒)

人生は一箱のマッチに似ている。
重大に扱うのはばかばかしい。
重大に扱わねば危険である。

芥川龍之介 『侏儒の言葉』

勉強・仕事・遊び・恋愛・家庭。
このあたりをバランス良くすべて楽しんでいる人を尊敬する。

いや「尊敬する」と言っておいたほうがいいかと思って、そう思おうとしている。
私の場合、後ろにいくにつれ、どんどん興味がなくなってしまうからだ。
つまり人生において、恋愛や家庭を築きたい欲がほとんどない。

だからそれほど羨ましく思ってもいないのだが、表向きは「いいっすね!」と言っておいたほうがいいかと思っている。
「今時は独身も多いから」的な議論をしたいわけでもないからだ。

ただそれはそれとして、複数のカードを常にもっておくのは重要だと思う。

ガリ勉の優等生よりも、器量や要領が良い子のほうが将来成功するというのはよく聞く。
彼らはガリ勉の優等生が勉強で100点をとる間に、遊びや人間関係などさまざまなところで80点をとり、160点とか240点をとるわけだ。

どちらかといえば前者だった私は今、なんとか後者になろうとしている。

勉強に限らず、1つのものを仰々しく扱ったり、逆に軽く見たりするのは危ない。

例えば仕事。
生きるための仕事で死ぬのは本末転倒だが、かといってまったく働かずに生きていけるのはごく一部の人間だ。

例えばパートナー。
「この人しかいない」と盲目的になるのは危ないが、かといって邪険にして大切なご縁を失うのは悲しい。

「ほどほどに働いて、ほどほどに遊んで」が理想的だ。

しかしまあ、そんなにあらゆるものから適度な距離をとっている人間が魅力的かといわれると、別の話ではある。

というのも最近、「アニメを見る時間」を意識的に設けるようにした。
仕事が忙しいとつい後回しになってしまって、「今季の作品何も見てないなぁ」なんてことがよくある。

このままではキモオタですらない、キモになってしまう……。
そこで「1日に10分は見よう」と、タイマーをかけてアニメを見ている。

しかしその最中の「何か違うなぁ……」感よ。

明日仕事で早いけど「そんなの関係ねえ!」と血眼で作品を見て、滾る妄想で眠れないまま朝を迎える。
そういうガンギマリのオタクだった時代が、私にもあった。

そしてそういうオタクにこそ、同志は惹かれるのではないか。

仕事でもそうだ。
ワーク・ライフ・バランスが大切なのは大前提として、「自分にはこれしかない」とばかりの熱意あふれる働きぶりに、心を動かされることもある。

バランスが大事だと分かっているのに、そのバランスを崩してしまうほど何かにのめりこむ。
最近、そういう経験が減ってきた。

これは単純に、老いか?
これが、「もうパズドラくらいしかできない」ってやつなのか?
生涯現役のオタクとして楽しく生きたい私にとっては重要な課題だ。

結局のところ、物心ついた頃から今日に至るまで、私の頭の中にはデッカイ理性、特に保守的な理性が陣取っている。

「宿題は必ずやろう」
「受験勉強を計画的にやろう」
「地元で公務員になろう」

フリーランスになったことで一旦そこから抜け出した気がしていたが。
自由な時間が増えたことで、それを管理しなければと、また理性が指示をとり始めている。

理性は、人生を特別に重要なものだと考えてしまう。
もちろんそれ自体は悪いことではないけれども、まだまだ続く人生、「重大に扱うのはばかばかしい」と思うことも忘れずにいたい。

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