2022_0216_本読み

2月16日(水)は以下を読みました。


山崎
『しゃぼん玉 その黒い膜の秘密』立花太郎 著
中央公論社、1974年刊
9 石けん膜の寿命
表面波 石けん膜の壊れ方

理解したとはとても言えないのですが、

液体の表面には、
ブラウン運動から想像できるように、
常に細かい波がある、
なんていうことは、想像もしていなかったので、とても面白く感じました。

そのことによって、反射する光の散乱おきる、と。

シャボン玉の表面の流動する色の動きにも「波」は働いているのだろうか?と思いました(前に読んだところでは、それは多重になった液晶状態の石けんの膜が重力でずれ動いていって起きる、というように理解してましたが。)。



きよもとさん
『俳句と地球物理 』寺田寅彦  著
俳句と宇宙
天文と俳句

〈あかあかと日はつれなくも秋の風〉

という芭蕉の句。

筆者は、この良さを、自分の感じたその季節の天候の繊細な味わいを語りながら、丁寧に説明してくれます。

さすが日本人の俳句詠みにして物理学者!すっかりこの句は素晴らしい、と感じさせられます。

そのすぐ後、この句を、まったく評価に値しないとこき下ろしている正岡子規の見解を引用していました。

この対比が鮮明。俳句というものすごく短い限定された表現は、解釈の幅がすごく広いのだな、と改めて思い知らされました。

「物理」という軸で自然を見る視点で、俳句をつなげて考えてみる、筆者の「みせどころ」を感じて、とても面白かったです。



山崎
『芭蕉連句集』岩波文庫、
二四 秣おふ(曾良俳諧書留)87〜89ページ

タイトルとなっている、秣(まぐさ)。馬の食べ物ですが、馬が何をたべてるか知らなくて、検索。草としては、干し草、イネ科の仲間、マメ科のアルファルファなどらしいです。

ここは、発句

〈秣おふ 人を枝折(しおり)の夏野哉(かな)〉

秣と、枝を折る、はなんとなく結びつくけれども「人を」の「を」がよくわからないです。検索すると、枝折は、野の目印であって、それが栞(しおり)の語源、と書いてあるブログを見つけました。

この解釈が正しいのかどうかわかりませんが、そう思えばよくわかります。

まあ、わからなさを楽しんでいこうと思います。



きよもとさん
「病床から羽ばたいて」
ピーター・J・マクミランの詩歌翻遊 星の林に 
朝日新聞2月13日朝刊

俳句を英訳しそれを解説する、というとても興味深いコラムです。

〈いくたびも雪の深さを尋ねけり  正岡子規〉

を、英訳しています。英語として自然な、主語「I」から始まる詩、そうでない詩と二つの訳を出していて、後者には「主語の自分」ではない俯瞰の視線があって、俳句の持つニュアンスが強化されるかも、という発見を書いていました。

文学の中でも、翻訳不能という印象のつよい「俳句」とか「詩」ですが、どう訳すのかの思考の過程が書いてあって、とても面白いです。(「けり」の説明が印象に残りました。)

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