2022_0509_本読み
<1690字>
冒頭の写真:
山茶花の新芽の美しさにやられました。花もいいけど新芽もね。あと種も実にいいです。(たねもみにいい、じゃなくて、たねもじつにいい)
ほんとに山茶花好きですね、私。
こないだ、雑草抜いてて、ハルノノゲシの折り心地に「うまそ!」って思いました(新芽を食べる草食獣は、こんな気持ち?)。
おひたしにして食べたら、気持ち苦味はあるけど、普通に葉物野菜だったです(キク科で毒なのは無いと思う)。
雑草、じゃなかったですね。
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5月9日(月)は以下を読みました。
「数学と生成文法」
黒田成幸 文
『新・自然科学としての言語学』 福井直樹 著、ちくま学芸文庫
に、付録として収められている文章
5 数学と「説明的妥当性の彼方に」
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著者の意図は、
生成文法の言語学における最小主義のありかたが、
数学における数学基礎論のありかた、に似ているのでは、
そしてそれをあれこれ比べると、なにかとても有意義な気がする、
ということらしかったです。
それは読み取れました。
そして、違うけど、どこか似た物を見つけた時、それを比較検討したくなるのは、人情ってものですね。
今の山崎は、わかりもしないのに何かに惹きつけられて集まってる野次馬ですけれどね(数学基礎論、wikiで見たり、いろいろしてます。。。)。
(音読した人:山崎)
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『学問のすゝめ』
福沢諭吉 著、岩波文庫、
九編 学問の旨を二様に記して中津の旧友に贈る文
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連休前に読んだところは、
人間は「交際」によって成り立ってる社会的な生き物、
っていうことだったと思うのですが、
今日のところでは、人間は、歴史的蓄積で、成り立ってる、ということだと思います。
こうして打ち込んでるパソコン一つを思っても、
あれができたからこれができて、
これができたから次にこれができて、
の長大な連鎖の果てにあるなーと。
社会の全てが「これ」なわけです、人間は。
(音読した人:めいさん)
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『目の見えない人は世界をどうみているのか』
伊藤 亜紗 著、光文社
第2章 感覚 読む手、眺める耳
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・点字といえば「触覚」と思ってしまうのは「見える人」の誤解。
・「見える人」にとっての「触覚」は、感覚のうちでもその重要性において最下位にある。
・「見える人」にとって、赤ちゃんから大人になるとは、主とする感覚を「触覚」から「視覚」へ転じること。
そんな考え方が、面白かったです。
いったい、どうやって「見えない人」にとっての触覚を説明するんでしょう、楽しみ、と読み手のこいでさんに言ったら、インタヴューしかないよね、と。
そう、そういう意図の本でした。
「見えない人」がなんと答えるのか楽しみです。
(音読した人:こいでさん)
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『空とぶ船とゆかいななかま』
バレリー・ゴルバチョフ 再話・絵
こだま ともこ 訳
光村教育図書
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ウクライナの昔話。
お話自体は「シナの5人兄弟」みたいに、王様から難題吹きかけられても、全部軽々答えちゃう、というタイプのでした。
「空飛ぶ船」がどういう発想だったんだろう、と少し不思議です。
黒海に面してるから、と想像して『西風号の遭難』を思い出したり、そもそも「飛行船」と書いたら不思議じゃないものになってしまう、と言葉だけで想像したり。UFO的に考えるのありますね。
(音読した人:はやしさん)
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『本の中の世界』
湯川秀樹 著
岩波新書
「近世畸人伝」途中まで
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お話の始め方が面白かったです。
湯川さんのところには、毎日何通かは、未知の人から手紙がくる、と始め、
それらの人はまあ「変わった人」と言えるだろう、
それは「多い」と言えるのか「少ない」と言えるのか、
みたいなことから数捻りして、
「近世畸人伝」(伴蒿蹊著、1798年)へ。
その本の、円空や俊乗の話が引用されました。
(音読した人:きよもとさん)
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連休前「連休中は製本のことは少し書くかもしれません」と書いたのに、はたして、はたせず(この言い方、できるのかな?あってるのかな?)。
書きたいことはあるので、待っててください(いや、誰も待ってないが、自分が勝手に待たせてる気分になってるのが不思議)。