2021_1106_本読み

11月6日(土)は下記六点を読みました。

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山崎
『声で楽しむ日本の詩 和歌・俳句篇』大岡信/谷川俊太郎 編、岩波書店

今日の六首は1700から1800年代で、古典和歌の部が終了しました。
良寛さんや木喰上人が少しは名前を知っている人でした。ことばが大分わかりやすい、という感想が出て、山崎もそれに同感でした。
時代が近くなってきた、ということなんでしょう。





こいでさん
『鞭と独楽』埴谷雄高 著、未来社
「三島由紀夫」

昭森社そしてランボオ(喫茶店?レストラン?バー?)に集まってきていた文学者たち(もちろん三島含む)の、その感じを「メエルシュトレエム」と呼んで、描いていました。ランボオって神保町かな、と検索すると、そうらしかったです。昭和24年に閉店、というようなことが書いてあったので、そういう時代か、と改めて思いました。
人名や作品名やなにやら、知っている断片から、朧げにではありますが、イメージできることが嬉しいです。





めいさん『節英のすすめ』
木村護郎クリストフ 著、萬書房、
6、では、どうしたらいいのか
《コラム4》節電してみました(1591~1637/3674)

著者宅の節電が描かれてました。
あんな事態を福島で引き起こした原発でできた電気をそのことを意識しないで使っていてよいのだろうか、いやよくないだろう、というところから始まった節電だったけれど、
我慢、でなく、お金も節約でき、生活も心地よくなった、という様子がよく出ていました。





はやしさん
『ふくろうくん』アーノルド・ローベル 作、三木卓 訳、文化出版局、から「うえとした」

二つの場所に同時に存在する。。。何となく量子テレポーテーションなんかを思いました。いやー、すごく変な話ですね。面白い。






きよもとさん
『銀の匙』中勘助 作、新潮文庫
三一 三二

蛾が大好きな山崎は、なんといっても下の文がこころに残りました。合歓(ネム)の花についてのところで、

〈すばらしい蛾がとんできて褐色の厚ぼったい翅をふるわせながら花から花へと気ちがいのようにかけまわるのが気味がわるかった。〉

「すばらしい」と言ったのに締めは「気味が悪い」のがなんとも腑に落ちない、そして「気ちがいのようにかけまわる」にドキドキします。果たしてこの気ちがい蛾はヤママユの類か、それともキイロスズメのようなススメガ類か。






山崎
『芭蕉連句集』岩波文庫、27ページ、
五 花咲て(飛登津橋) 

発句(挨拶句)、脇句(挨拶句を受ける)、第三、まで、注を読みながら読みました。
桜が咲くのも、鶴が一所に居るのも七日間という発句、それを蛙(かはず)を出してへりくだって受ける、というような、なんとなくの流れが、注を読むとわかるので、嬉しいです。


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