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2022_0407_本読み

<1896字>

冒頭の写真:

一株だけ白花が。
多分まわりと同じ ショカツサイだと思います。

昔は、ハナダイコンって言っていました、山崎。

ふと思ったのですが、スミレもフジもキキョウも白と紫がありますね(スミレは種レベルの違いかな)。

なにか花の色の変化の法則があるんでしょうね。

ショカツサイの標準和名はオオアラセイトウ、漢字は、大紫羅欄花で想像できる漢字の音と合わないです。中国名もこれではなさそう。ポルトガル語のラセイタという布の名が起源らしいですが、あまりよくわかりません。



4月7日(木)は以下を読みました。

振仮名ふりがな歴史れきし

今野真二 著
集英社、2006年刊
第四章 明治期の振仮名
第三節 翻訳小説の振仮名

明治期に多いという振仮名の誤植の話題でした。
初版とわずか半年後の再版で、振仮名が違うのが図版でよくわかりました。

例えば「ひいたげる」が「しいたげる」に変わっていて、ああ、正しく修正したのですね、と思ったのですが、
著者は(どっちが正しいということは判断してなくて)印刷者の東京方言が反映されてるのでは、と述べていました。

確かに、他の例も見ると、そんな感じです。

「ひ」と「し」のブレは山崎の現状を考えても、とても面白いです。

布団をく 、だと漢字があるから知ってるけど、
布団を ひく 、って無意識に言っている時がありそうです。

総ルビの場合、振仮名をつけている人が著者ではなく、しかも著者のチェックを通っていない場合も多かったようで、そのあたりを

「明治という時代が付けた振仮名」

というように書き表していました。

(音読した人:山崎)





『学問のすゝめ』

福沢諭吉 著、岩波文庫、
七編 国民の職分を論ず

人民が主人であり、政府を任されている少数の人はいわば支配人。

支配人は主人の意を受けて、私事ではなく公用を果たす。

国の仕組みをそのように説明していました。

(音読した人:めいさん)





『とこしえのお嬢さん』

野見山暁治 著、平凡社

今日は
「”パンの耳"のゆくえ」(江頭匡一きょういち
「あとがき」
を読んでくださいました。それで、この本を読了。

前回は、著者の妻 武富京子さんの弔文でしたが、二人の出会いは、今回の江頭匡一さんによるものだったことなどが書かれていました。

本当に、

えー?それでどうなったの?へー、ふんふんふん。 で?

と、聞き入ってしまうような展開でした。

山崎の母も、ときどき聞き専でこのzoomの時間にログインしているのですが、「野見山さんって、本当に文章がうまいわねー」と言っていました。

「あとがき」では、まわりの人がどんどん亡くなっていく94才の気持ちが書かれていました。
まだ60前の山崎にも想像できるところには、こころ揺さぶられましたが、
「夢の中で昔に返っていて友達に会うというのがすごく恐ろしい」というあたりは、底知れぬ感じでした。

(音読した人:こいでさん)





『本の中の世界』

湯川秀樹 著
岩波新書
まえがき

大人の本に囲まれて育った、という特殊な育ちが、まず語られました。

岩波の雑誌『図書』に連載の「好きな本」についての原稿に、雑誌『心』に掲載した短い自叙伝を取り合わせて、新書一冊の量にした、とのこと。

湯川さんは1907年生まれ、この前書きは1963年。
テレビ・ラジオの普及で読書占める時間は減ったと書かれていますが、
そこから60年後の今は、動画やVRの時代。
どんなふうに読めるでしょう。

山崎は、この本をハードカバーに改装して、製本技法書の作例として、自著『もっと自由に!手で作る本と箱』に載せ、短い文を書いたことがあります。

製本でアートしよう、と考えてしまう山崎にとって、本の中の世界、という構造感を感じさせることばが、ひどく魅力的でした。

さらにずっと前に、中間子のアイデアを得たのが、木漏れ日を眺めていた時だった、という話を、ひどく美しく感じていました。

と、いうわけで、きよもとさんが今日からはこれを読みます、と、この本を見せてくれた時に、少し驚きました。

(音読した人:きよもとさん)







『芭蕉連句集』

岩波文庫、松尾芭蕉
三一 御尋に(曾良俳諧書留)105〜107ページ

時々「謎」や「判じ物」と感じながら、読んでいます。
57577音に隠されてる意味を、勝手に垣間見るのが、楽しいです。

発句の季は夏で、その場合の三句目は夏か雑。雑とみれば、季移り、と言って季節を変えてもいいそうで、この歌仙ではすすきを出して秋の句にしていました。

こういうゲーム感覚が一つわかるだけで、嬉しいです。

(音読した人:山崎)


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