2021_0918_本読み

9月18日(土)は、

山崎
1、『ドラッカーと論語』安冨歩 著、東洋経済新報社、第2部 ドラッカー思想の歴史的意義
第5章情報〈コンピューターの衝撃〉
発信者=受信者
情報を流すことより集まる場所をつくる
「ネット掲示板」は情報の集まる場所か
「情報責任」を放棄した組織
「Wikipedia」の可能性
孔子が「インターネット」を語ったら
(1838から1973/2724)


今日の論語からの引用
・衛霊公第一五、三四

うまく機能している「組織」の例としては、
前出のイギリスによるインド統治、
そしてここでは、オーケストラ、医療現場、が挙げられていました。
トップマネジメント(全体を統括する人)と現場があり、その双方が発信者であり受信者であるということが大事と書いていました。

間に中間管理職みたいなものが入るとダメ、ということがなんとなくわかりました。

山崎は、ずっと個人事業主で一人でやってるせいで、組織をうまく考えられないです。

結局、トップマネジメントと現場との関係というのは、個人対個人というシンプルなことなのではないかな、と、思いました。
(ちょうど、製本教室にいらしてくださってるデザイナーさんから、宣伝用チラシを作るのでも、間に入ってくれてるコーディネータ?の方、クライアント社の部長さん、社長さん、などなどの意向をうまーく通す、というのは至難で、ともかく効率も何もかもよくない、というお話を聞いたところでした。)


こいでさん
2、『誤動作する脳』樋口真美 著、医学書院
夜目遠目も脳の内
乗っ取られる耳
老人性難聴
失敗を認めないわけ
音源をたどっていくと
「脳の不調」は疾患を越える


嗅覚のことから、視覚や耳のことにもさまざまなことが起こって大変ショックなのですが、やはり観察は続いて行きます。
山崎にも、色々考えさせられることがあります。

「失敗を認めないわけ」では、相手が全然失敗を認めない時「なんて頑固なんだ、しょうもな」と、山崎はしばしば感じていますが、この文を読むと、確かに自覚がない場合、そのことを認めるにはとても高度な判断とか決意が要るな、と腑に落ちる感がありました。

「「脳の不調」は疾患を越える」では、山崎は自分が学生の頃、アルコールを飲みすぎた時、一度だけ、ふらふらで立てなくてアスファルトの道が波打って、電柱がこちらに倒れてくるという体験を思い出しました。

あれこそ、わかりやすく「脳の変調」だと思いました。

などなど、きっとどんな人とも、思っている以上に地続きなんだな、感じます。自分にとっての「当たり前」は人にはそうで無いかもしれなくて、それは言ったり書いたりしなければわからないのだから、誰にでも書く必要はあると思います。



きよもとさん
3、『声で楽しむ美しい日本の詩』谷川俊太郎編、岩波書店


今日の詩は

「眠りの誘ひ」 立原道造
「晩夏」 木下夕爾
「下降」 杉山平一
「居直りりんご」 石原吉郎
「ちいさな遺書」 中桐雅夫

詩を読むのは難しい、と感じますが、谷川俊太郎さんの短い附言で、ちょっとした「手掛かり」ができ、感想を書けるようになるのが嬉しいです。

山崎には、

若い切符切りが、誰も降りなかった電車の駅で脇の葉っぱに切符切りで切りを入れる様子

各階に止まりながら下がっていくエレベータの中の様子

が映像感として残りました。
と、聞いてから二日たって書いています。


はやしさん
4、『レミーさんのひきだし』 斉藤 倫 、うきまる 作、くらはしれい 絵、小学館


使わなくなったものたちが、ちゃんと引き出しにしまわれ、そのうちにちゃんと誰かの手に渡されていく様子が丁寧に描かれていました。

あ〜あ、と思いました。

なぜなら、山崎の引き出しは、すでにいっぱいで溢れているのに、行き先を探してないものものに溢れていますから。

大いに反省しました。

ぐるぐる回していかないと、ならないです。今まずやることはこれだなと感じました。

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