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2022_0320_本読み

<1440字>

ヒサカキが、気づくと今年も満開でした。

ちっちゃな花なので、満開って気分はまったくないですし、たいがいは、その臭さで開花に気づくのです。

ウィキペディアには

〈「サカキ」が手に入らない関東地方以北において、
                      サカキの代用としている〉

なんて書いてあります。

先祖が中部出身で東京へ出たから、自分を「あずまびと」と思ってる山崎にとっては、肩をもちたくなる、かれんな美しさなのです。

さて、3月20日(日)は以下を読みました。


振仮名ふりがな歴史れきし

今野真二 著
集英社、2006年刊
第二章 平安時代から室町時代までの振仮名
第三節 室町時代の振仮名
第三章 江戸期の振仮名
第一節 読本よみほんの振仮名

〈振仮名のマニエリスム〉という表現がでてきました。

読本よみほんからの写真図版は、左右振仮名で、読みと語義の補足がいりまじります。複雑で 脳にもこころよい負荷がかかり 眺めて読むのが楽しいです。

このことを解説する、この文章そのものも、すんなり音読することが、もはやできない、ということになっています。

zoomで、本文映しながらやってるから まあいいかと思えるけど、声だけだったらかなりこまりますね。

日本語ってやつぁ。。。

(音読した人:山崎)





『学問のすゝめ』

福沢諭吉 著、岩波文庫、
五編の最初のとこ

四編と、この五編は、学者相手という意図のため、ことばが難しくなってしまい、ごめん、六編からは三編以前の初学の人にもやさしい書き方にもどるよ、ということが書いてありました。

その差すら、あまり感じられていない、山崎でした。

文語体というだけで意味をとりにくくなってしまう、なさけなさ。

(音読した人:めいさん)





『わたしだけのものがたり』

パメラ・ザガレンスキー 作・絵、木坂 涼 訳
フレーベル館

水彩でしょうか、美しい絵本でした。この絵本作家のデビュー作だそうです。

だからこそでしょう、「絵」「ことば」「本」の関係について、強い思いがあらわれてる、と感じました。

山崎は自称「製本アーティスト」なので、これらの関係にかかわる表現があると、ひきつけられます。

(つけたし。山崎自身の表現は、物でえがく本、とでも言えるでしょうか。有る「ことば」は題名だけです。こんな感じ。)

(音読した人:はやしさん)





「福沢諭吉と「西洋化」」

「日本文学史序説 下」加藤周一
第十章 第四の転換期 下
これの前半

読み手のきよもとさんによれば、

この「日本文学史序説」の中で、福沢諭吉のところは、かなり大きいとのことです。

福沢諭吉は英語の翻訳語もずいぶん作ったと聞いたことがあります。

「自由」「社会」「家庭」など。

扱いが大きいのは当然なのでしょう。

(音読した人:きよもとさん)





『芭蕉連句集』

岩波文庫、松尾芭蕉
二九 おきふしの(繋橋)99〜101ページ

名残の折の裏へ。

〈 盗人のむぐらにすてる山がたな   曾良 

   やなにかゝりし子のゆくへきく  素英  〉

なにやら  ぶっそうな雰囲気です。

簗は、鮎などを獲るものなので、親鮎の気持ちを詠んだのかな、と思ったのですが、『校本芭蕉全集』では、普通にこどもの安否と説明していました。

前の句から、山賊につかまるという連想はわかります。

簗から落ちるこども  だったら解るのですが、簗にかかるこども  とはどんなことなんだろう、と思いました。

(音読した人:山崎)





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