2021_0916_本読み

9月16日(木)は、

山崎
1、『ドラッカーと論語』安冨歩 著、東洋経済新報社、
第2部 ドラッカー思想の歴史的意義
第4章全体主義〈組織の罠〉
情報とは「違いを生む違い」
コンピューターによる「解放」
インターネットで「外の世界」につながる
情報の洪水
(1700から1838/2724)


今日の論語からの引用
・里仁第四、二

ややこしく感じました。もう一度読み直しました。

"The coming of the new organization"(1988, Harvard Business Review)からの以下の文が引用されていました。

〈情報とは、関連性と目的を付与されたデータである。データを情報に変換するには、かくて知識を必要とする。〉

「知識」はknowledgeの訳語として使われていますが、英語の「knowledge」は、日本語の「知識」と違い、知ろうとする行為に重点があるとのことで、ドラッカーの本の場合、特にそこを汲む必要があると安冨さんは主張しています。

データが単に何かを測った数値の集まりだとして、それをどういう意図に沿って読み解くのか、という解釈が必要となります。それは知的行為。これを「知識」を必要とする、と言っているのだな、とわかります。

この本で、安冨さんのやっている、論語でドラッカーを読み解く、ということも
〈無理やりであっても、可能な関連性のうち、どれかに限定しないと話が始まらない〉(1730/2724)
ということだな、と思いました。

科学においての仮説、あるいは予測、みたいなことは、
単なるデータから「情報」を形成していこう、
という意志ですね。

で、その仮説や予測のきっかけは、虫がこっちに餌がありそうと、思う前に動いているという仕組みなのだと思います。
(動いていたら、餌のところへ着いていた、という感じの働き。)


こいでさん
2、『誤動作する脳』樋口真美 著、医学書院
まえがき
Ⅰ ある日突然世界は変わった 「性格が変わる」残酷さ 
言われたくない言葉 料理は鼻でつくる ワインの香り、花の香り、りんごの香り! 本物、偽物どちらでもいい
 

レビー小体型認知症で、匂いを感じなくなってしまって以後のことを色々と書いています。

「慣れてしまうものだ」

「今なら宅配食事サービスを利用すればいいと考える」

「無い感覚については普段は気にしなくなる」

など、と、冷静に受け止めるようになっていく様子がわかります。

しかし、それでも周りのみんなの間で香りが話題になる時などに、
決してそれを共有できなくなっていることに、孤独を感じざるを得ないのも事実とあります。

幻臭に悩まされたこともあり、本当に脳のその部分が変調をきたしているのだな、と思います。

山崎も、かつて自分に有ったものを思う、とか、元々無いものを思う、とかどんな感じだろう、果たして「思える」のか、と、ふと自分に問いかけてみたくなります。



めいさん
3、『節英のすすめ』木村護郎クリストフ 著、萬書房、3、 「自国化」による情報伝達の屈折  
日本におけるドイツの「エネルギー転換」報道(668~723/3674)


前回とは逆に、日本でのドイツの脱原発事情についての記事。
ドイツは電力を隣の原子力発電国フランスから輸入している、という内容。そのこと自体は事実。
そこから導かれる誤読は、隣国の電力に頼るから脱原発ができるのだ、島国の日本とは違う、というもの。
実際は、ドイツ、フランスなどの国々は相互に電力を輸出入しあっていて(区切ることは実際は無意味ですが、仮に区切って)ドイツだけで見ても、国内の発電で電力は足りている、とのことです。
違う状況にある地域の事情をよく知らないために、誤読してしまう、あるいは誤読を促すような表現をする「自国化バイアス」がかかってしまっています。


はやしさん
4、『ノホディとかいぶつ』 愛甲 恵子 再話 / ナルゲス・モハンマディ 絵、福音館書店


イランの昔話。イランの人の絵が独特。登場の食べ物も、ひよこ豆(=ノホド豆で主人公の名前の由来)のスープだったり、甘い目玉焼き「ハルアー」かな?、だったり、どんなのなんだろう、と食べてみたくなりました。(「こどものとも」の一冊なので、付録の冊子に載ってましたね)
ペルシャ語の、1、2、3、が、ニエキ、ド、セ、と物語中に出てきていました。


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