公立病院改革3-59【第二次公募の骨格】〈2006年〉東北170床 公立F病院
2月下旬、アレコレと動く中で併行して「第二次公募」の予定も粛々と決まっていく。
行政的には「委員会」を継続できるのが好ましいようだが、前回の委員長が辞任して委員会を組成できなかった。
そのため、第二次公募は院長のみが決定権を持つ「選考会議」という簡便な体裁で行われることとなった。
その選考会議は委員会ではないため、決定権がある委員は存しないこととなる。
その代わりに、専門的見地から「意見」できる会議参加者が必要だということになった。
そこで当事務所の先輩税理士2名に出馬をお願いしたところ、快く引き受けてくれた。
こうして選考会議は、院長、前回委員の両市の2名、当事務所のT顧問、そして2名の税理士アドバイザーで構成されることに決まった。
公募要項は3月1日に公表されることとなった。
骨格は前回決まっていたから、公表準備は早く進んだ。
そこから施設見学会と質問受付が約10日間。
3月11日から17日 応募受付期間。
3月19日 第一回選考会議。
そこから例によって、応募団体の実地調査を実施。
3月22日 第二回選考会議
この会議で、(僕が)実地調査とヒアリング結果の取り纏めを行った資料をもとに、意見交換を行ったのち、院長が後継先を決定する。
現地をご案内した東京・埼玉で展開するグループも、総帥は乗り気でいらっしゃった。
しかし、実際に応募してくるかは分からない。
他の関心を寄せているというグループも、また然りだ。
ともかくスケジュールは組まれて、サイは投げられた。
ところでこの局面で、「医療法その他の問題で、そもそも後継法人は4月から診療開始できるのか?」という問題が持ち上がった。
僕は医療法上の病院開設手続など全く知らない時期だったので、キョトンとするばかりだった。