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公立病院改革3-54【第二次公募の準備】〈2006年〉東北170床 公立F病院

僕は当時32歳で、なりふり構わず必死で生きるだけの受験生コンサル。
バズり要素満点の最重要局面で退いた、J准教授の心情が理解できなかった。

単純にカッコ悪い対応だと感じたし、業務上も困るので怒りが込み上げてきた。

しかしその後、この世界で様々な医療経営者や、名の通った人たちと相まみえていく中で。
J准教授のジャッジは「普通の選択肢の一つ」だったと、徐々に理解できてきた。

世の中には、何としても自分の名を守らねばならない時がある、とか。
そこで看板に揺らぎが出ることが、精神的、業界的に耐えられない、とか。

いろいろあるのだと。

まあ、この辺は性格もあるだろう。

僕はいま50歳になり、開業税理士として小さな看板を立てている。
しかし基本的に、火中の栗は拾う、死中に活あり、虎穴入らずんば虎児を得ず、という性質だ。

傷の無さより、渦中や火中で「最後まで立っていた」ことを誇るタイプだから。
きっと私ならやっただろうけど、それはそれ、だ。

ともかく、委員長不在の状況をどうするか、が次のテーマだった。

僕は、事務所のボスと行政サイド担当者に「委員長固辞」を報告した。
すると、一人テンパっている僕と違い、皆さん意外に淡々としたものだった。

このキツイ案件の、名目的であっても最終決定者を辞するのは当然、くらいに思われたのかもしれない。

結局、少し協議したのちに、引き続きどなたか委員長は模索するが、そこはともかく「選定の会議を組成する」こととなった。

ここに、第二次公募業務が開始されることとなった。

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