公立病院改革3-65【最後の選定会議】〈2006年〉東北170床 公立F病院

会議はいつも通り、現地、F病院講堂で行われた。

僕は3月17日、応募締切の当日に宮城現地に入り、そのまま資料まとめと簡単な分析を実施。
そのまま翌18日、第一回選考会議に臨んでいる。
そして翌19日に、東北側の応募法人の現地視察に同行してから、帰京。

3月20日、埼玉にあるもう一つの応募法人の現地視察に同行。
それが終わった2日後、22日に第二回選考会議のために宮城入り。

こういう慌しい動きが、僕を「やっている」ととても酔わせてくれた。
また式次第の作成や進行、会議資料の作成(分担)、応募法人とのアポなど、キーになるところに置いていただけたことが、一層充実感を高めてくれた。

資金ショートやら、自治体倒産やら、後継団体の辞退やら、逃げ出したい状況のオンパレードだった。
現に、前回会議の委員長は自らの名誉を守るために、辞退もされている。

なぜ会計事務所に就職しただけなのに、こんな目に合っているのだと、呪ったこともあったが。

とにかく、充実していた。

22日の会議では、僕は視察状況を淡々と委員、オブザーバーにご報告した。
財務分析等の事前資料で分かる内容は、前回の会議で皆様に共有している。

委員たち、そして現院長の判断材料は出揃った。
当事務所から参加していた税理士たちは、意見し、追認する立場での参加であったが、僕の説明を了承してくれた。

そして事前に委員に配布されていた審査用紙が記入され、その記入結果が僕の手元に回ってきた。


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