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公立病院改革3-31【行政人の実力】〈2006年〉東北170床 公立F病院

よく役所組織の問題点が新聞や専門家に指摘されることがあり、それらの指摘は、今もって誤りではないと思う。
F病院をここまで放置してしまった、という点は、やはり役所組織の欠点の積み重ねである。

しかし、僕がこのF病院の後半戦業務、病院資金ショート以降にともに活動をした本庁、市長部局とその部下たちは、スピーディで現実的な危機対応を行っていた。
まぎれもなく、「これが危機対応における組織的行動か」と思わせる、迫力と実働があった。

その後、このF病院業務だけでなく、役所が一丸となり、役人個々人が全力を発揮すると、とてつもない成果をあげていく局面を何度も見てきた。
そういう場面での集団、個人のポテンシャルは民間人をはるかに凌ぐと思わせるものがある。

ただ、それはある一局面、一断面であって、正直、A市はもちろんのこと、全国的な役所の常態でないことはよく分かっている。
残念ながら、役所全体にダラっとした感じが行き渡っている自治体もある。
その背景に、そのポテンシャルを構造的に発揮させない、組織的弊害や政治関係性があるのも、残念ながら事実である。

それでも、この業務を通じて初めて役人や役所組織を認め、尊重し、ときに敬愛する心情を得ることができた。
このことは、後に様々な優れた行政人と仕事する上で、そして市民として生きる上で、僕の人生における一つの財産になった。

A市本庁の理事と、その部下の方と仕事をした時の驚嘆は、今もよく覚えている。

「理事」は、この市では定年再雇用後のポストのようだが、市長が特に、本件の全権を託した人物だった。
この理事と、その部下の方と、厳しい局面で宮城⇔東京を行き来して、丁々発止したのは良い思い出だ。

僕は失礼ながら、公務員という人たちを「なめていた」。

仕事をしない、責任を取らない、、、そういう職業の代表選手と思っていた。
これはマスコミによる官僚批判をもろに吸収して、育ってきたからだろう。

だから公務員の人たちにできることは、僕も全部できる。
公立病院改革に携わってまだ日も浅く、役所との直接の接触が少なかったので、そんな意識が強かった。

しかし本件の各所で、僕のそんな不遜で失礼な意識は、どんどんひっくり返されていく。


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