公立病院改革3-57【プロとの行程】〈2006年〉東北170床 公立F病院
その後まもなく、僕は総帥と元官僚の方と一緒に、東北出張に行くことになった。
目的は病院そのものの視察と、「前回応募した病院の偵察」である。
そんな、前回応募した病院を視察するなんて??
やっていいの?
とか、いろいろ考えたが、総帥がそうするというので、その通りに従った。
僕個人としては、デカい団体の代表や元官僚コンサルという凄腕たちと動く、ということだけでもう(良い意味で)ビリビリしていた。
もとより後継団体が逃げ出して、選定の委員長まで逃げ出して。
まもなく、2つの自治体が倒産に至る、その直前という状況だ。
もう、どうにでもなれというのが正直な心境だった。
しかし、総帥たちは本気だった。
総帥は、診療圏分析さながら、地域の重要と思える箇所を全部(僕の運転で)回るように指示した。
そして、ブツブツと「なるほど」「これは行ける」「だからダメなんだ」と呟いている。
しかし彼なりに、自分がもし運営するとしたら・・・というイメージ像が、徐々に出来上がっているようだ。
そして、かねてより総帥から「前回応募した団体にも行ってみたい」と言われ、アポをとっていたので、そこに向かった。
宮城県内の、60床未満の病床と老健を有する、第二移譲候補者であった医療法人だ。
僕は、そんな面談を受けてくれるのか?と疑問に思ったし、面談が成立したら、何だかケンカになるのでないか、と。
そんなことばかり、考えていたのだが、面談は成立した。
そして総帥はその面談でハッキリと「私たちはF病院が欲しい」と言った。
総帥としては、地元の有力病院と連携してF病院を取得できないかと考えていたのだ。
しかしその第二移譲候補の理事長は、「私たちも欲しいが、単独でやりたい」という趣旨のことをハッキリ言った。
その後少し、色々医療経営に関する意見交換があったが、あまりハッキリした論点を得ないまま、話は終わった。
その後に総帥がボソッと言ったことを、今もよく覚えている。
「あの理事長の病院運営の考え方は、クリニック運営の延長だな・・・」
この言葉は、その後十数年の業務の中で、常にリフレインする重さと迫力があった。
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