公立病院改革3-27【消滅による失職 3】〈2006年〉東北170床 公立F病院
前回、前々回は、失職の仕組みと、失職が生じた場合の医療職と事務職の状況差についてを書いてみた。
ところで一部事務組合の雇用関係では、もう一つ特徴的なことがあった。
それは同じ公務員、同じ(主に)事務職員の中に。
「構成市の本庁から、派遣や人事でやってきた人たち」
「最初から組合で採用された、プロパーと呼ばれる人たち」
という、2種類の公務員が存在していることだ。
大概、本庁から来た職員のほうがポストが高く、プロパーの人たちより偉くて、権限がある。
そして、事務組合解散・消滅となり職員が失職する局面において。
本庁から来た人たちは、失職とは無縁に「本庁に帰ることができる」のである。
だから本庁から来ていた数人の職員は、僕にも聞こえるところで、よく「本庁に帰りたい」という言葉を連呼していた。
そもそもコンサルテーションで僕たちが入り始めたときから、万事、他力本願で、文句や不満しか言わない。
最近、病院は事務リーダーで決まるなどと言われているし、僕もそう思っているが、その意味ではなかなかな事務リーダーたちだった。
ともかく、雇用が保証され帰ることができる人たちが、失職の危険がある人たちの生殺与奪を握っているという、不条理な構図があった。
若い僕は「なんと、みっともない話だ」と思った。
しかし、公務員に限らない。
責任と権限がある人ほど安全地帯に逃げ出していく局面を、ここまでたくさん見てきた。
格好いいも悪いもない、責任と権限がある人がリスクは取らない。
また我が国では、田舎に行けば行くほど、公務員の職業ヒエラルキーは高くなっていく。
だから現地の本人たちの意識も、帰る側も残る側も、そういうものだと納得しているようだ。
我が身を守ることがすべてとなってしまう、そういう光景に目が慣れてきてしまった。
本庁から来た職員たちは、ある段階で本当に本庁に帰っていった。
撤退戦で血を流すのは現場だけ、きっと戦争もそうなのだろう。
次回は、雇用問題よりいっそう大きい、「病院を消滅させられない」事情について記してみる。