公立病院改革3-14【夕張が及ぼした影響】〈2006年〉東北170床 公立F病院
夕張市立総合病院を立て直す、といっても、基本的に市自体が破綻状態にあるわけなので、市の力で病院を維持はできない。
しかしその中で、患者と職員雇用のすべてを守り抜けずとも、動けない患者とそこで生活する職員を、できるだけ守っていかなければならない。
そのためボスは、総合病院を市・直営から「指定管理者制度(公設民営)」にする手法を採用して、19床+老健施設の形態で再出発することとした。
その技術的には、医療法人財団を設立して、その新規法人を指定管理者として、有床診療所と老健を運営させる方法を採用したのである。
当時、こうした手法が受け入れられやすい背景もあった。
その頃は新・臨床研修医制度が始まり、診療報酬が伸びない時代に入っていたところ、さらに平成18年診療報酬改定「▲3.16%」ショックなどが続いた。
景気停滞が続いて、税収が伸び悩む自治体も多くなっていた。
そうした諸要因から、すでに公立病院改革が熱を帯びてきていた中でも、病院を「老健+診療所with法人指定管理者」にダウンサイジングする諸例が、全国あちこちで見られるようになった。
ボスはこのような改革の際に、新・医療機関の受け皿として「医療法人財団」を好んで設立して、公益性と柔軟性を両立させていたのである。
なお医療法人財団は、出資金方式でなく寄付金方式で設立されるので、後に出資者の出資金値上りなどによるトラブルが生じない。
そのため、公益性が高い医療機関の受け皿としては非営利性が高く、ちょうど良い法人形態であった。
ただこの直後、平成19年の改正医療法施行で、「出資持分のある医療法人は、設立できなくなった」。
以降、財団方式でなくても医療法人社団を普通に設立すれば、出資金値上りなど生じないこととなったので、医療法人財団の設立はあまり見られなくなった。
その新生夕張の新・院長として、地域医療で実績を有していた故・村上智彦医師が招聘された。
著名な村上院長の着任は、道内のみならず全国からの応援や励ましを取り付けることとなり、住民、患者やスタッフたちをずいぶん元気づけたものであった。
こうして人的、技術的な数多くのケアを重ねた結果、地域医療はかろうじて守られ、現在も夕張医療センターは多少の形態変更を経て運営されている。