公立病院改革3-52【選定、振り出しへ】〈2006年〉東北170床 公立F病院
自治体側における2団体との協議が不調に終わったことは、地元マスコミに発表され、その様子はすぐ記事になった。
記事の中に「スケジュールの拙速は否めない」という論調が繰り返されている。
この頃から僕が関与する案件がマスコミに出るようになり、「マスコミも適当なものだ」と痛感するようになってきた。
このスケジュールにもう10日余裕があったら、後継団体は辞退しなかったのだろうか。
もっと長い募集期間を取れば、本当にもっとたくさんの応募があったのだろうか。
それは誰にも分らない。
中にいた我々は、次々到来する想定外の出来事に翻弄されながらも、全員が最速で安全なスケジュールを模索していた。
まあ、マスコミは論評が仕事だから仕方ない。
しかし、中の動きを活字にするとこうなるのか、という典型例であったと思う。
その辺のことでいうと、最近ではコロナ禍の「持続化給付金」が似ていると感じる。
某総理大臣の知己である企業や一部の団体で、あの給付金枠組みを決めて実行して。
カネをばらまいた結果、不要な団体や、犯罪集団にまでおカネが行き渡る結果になってしまった。
大変な国民的批判を受けることとなったが、僕はあの決定・実行のスピードが素晴らしかったと思う。
あの政権は好きではないし、実際に、多くの財政資金が無為に給付されるプランニングではあった。
しかし、コロナ禍初期は、世界がどうなるか、日本がどうなるか、誰にも分らない領域に合ったのだ。
そこで、あのスピード感でおカネがバラまかれたことで、一瞬、事業的、精神的に救われた事業者が数多くいたと思う。
それを批判する人は、、あの場面において誰かに安心を与えることはできなかっただろう。
と、話は横道に逸れたが、ともかく記事一面のタイトル通り。
「選定、振り出しへ」
と、戻ることになったのである。