【公立病院改革 番外編2-5 奥羽旅情 最終局面への準備】
そんなことで、お勘定をした金額が5,000円くらい。
大量のエンガワと酒を喰らった割には安い、と思った。
まあ、他人のボトルから注がれていた焼酎だから、原価タダか・・・
帰り際に、ママに宿泊場所を聞いたら、近くに労働者向けの民宿があると教えてくれた。
昔でいう、木賃宿みたいなところだろうか。
まあ、何でも良かったので、その宿に行ってみた。
そこは本当に肉体労働者向けの小さな民宿で、風情がある佇まいだった。
案内された部屋では、ガスストーブがうなりを上げていた。
外が寒かったので、とにかくありがたい。
確か深夜だったと思うが、僕はたしか着替えもせずに、そのまま寝込んでしまった。
翌朝2月7日は、東京に戻って翌日の選定委員会の準備をしていた。
現地ヒアリングをしてきた2団体についてレポートと写真をまとめて、委員会当日に報告するのだ。
当時32歳と、僕はとにかく若いので、能力はともかくスケジュールは何でもこなすことができた。
若さに任せて、東京と東北を何度も行き来しており、それがビジネスマンだと言わんばかりの勢いがあった。
そして鬼っ子といわれていた業務で、実は自分の働きで一自治体を救済することができる、という大変な自負が芽生えていた。
いよいよ明日、2月8日は選定委員会で事業承継先が決まることになる。
今だと、事業承継先を「決めた後が大変」ということが身に沁みて理解できているが、当時は承継先が決まれば、枕を高くして寝れると思っていた。
明日、2月8日ですべて決着すると思っていた。