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自分でコントロールできている感覚

今日は2023年1月25日の水曜日、予報通りの大寒波な日でした。こんばんは、岸波豊です。

昨日は父親と電話していたらえらく時間がかかり、連続投稿が途切れてしまいました。
まあ、これまでもシステム的には日をまたいでいたりして途切れていたんですが…
私は習慣は続けるタイプの人なんですが、さすがに健康のために寝るのを優先させました。

さて、父親は引越しを決めたのでその準備に追われています。電話で、「自分で決めたこととはいえ…」と、印象的なことを言っていました。
この自分で決める、というのはとても大事なことだと思います。

つい私は子どもに、これにしなさい、とか、こうしなさい、とか言ってしまいがちです。
しかしそれでは、子どもからすると決めたのは親だ、ということで、責任をもってしたい気持ちがなくなるような感じを受けます。

子どもだけでなく、自分自身も、誰かに決められたら楽だけど、そのことに対する受け止めが楽な分、ずいぶん軽く扱ってもいいような気がします。

自己コントロール感というんでしょうか。強いストレスを受けているときでもなんとか気持ちが折れない条件は、この自己コントロール感が強いときだという話もあります。
自分でコントロールしている、できる、という思いは、この先なにかあったとしても乗り越えられる、という自信につながっているのでしょう。

逆に、こうなったらどうしようとかの不安な妄想が生じたときは、こうなったら、ということばかりがふくらみます。
これに対して、どうしようの具体的な中身にまで進むことは少ないです。
こうしよう、と思っても、すぐさま、それでもこうなったらどうしよう、という、不安ばかりが膨らみます。

こうなったら、という不安に、自分でコントロールできている感覚はありません。受け身です。

不安が膨らめば、ああするこうする、ということもおっつかなくなり、むしろ、おっつかなくなりどうしようもなくなる感を満喫するまで膨らむことになります。嫌ですね〜

自分でコントロールできている感じをもっていたら、まずは自分でできることをひとつひとつしていくこともできます。また、不安の妄想を膨らませず、今ここで自分がすることができることをしていくから、自分でコントロールできる感覚が生まれます。好循環ですね。

今朝の大寒波の報道で、今更水道管凍結対策なんかを考えていながらすると、飲むべき薬を間違ってあけて、、を2回もしてしまいました。簡単なことでも考えながらの自動操縦は失敗する、今ここに集中すべき、を、簡単なミスから思い知りました。今ここのコントロールが大事でした。

大寒波は明日まで続くそうですね。みなさまもお気をつけて。

おやすみなさい。