見出し画像

【完結】【R18恋愛小説】シェルブリュウ〜黄昏の青 最終話「黄昏のシェルブリュウ」

第38話へ

黄昏のシェルブリュウ

「ミユキ。きみはわたしのすべてを負う覚悟があると言った」
「ええ。確かに言いました」
「その言葉に甘えることにする」
「…甘えてください」
「映画館できみと初めて会ったとき、シェルブリュウの思い出を聞かれて、わたしは言いたくないと言った。それを今から話すわ。今まで誰にも話したことがないわたしの罪の記憶をきみだけに打ち明ける。だから、わたしが話し終えるまで黙って聞いて欲しい」
「わかりました」
「きみにとっては不愉快かもしれない。わたしの初めての男性の話だから。でもすべてを話さないと伝わらないんだ」
「あの木崎祥平さんのことですね」
「そう、わたしの初めての人。そしてただ一人愛した人」
「聞かせてください」

 そしてわたしは二十一歳のわたしになった。

 彼の思い出ともに…。

 何も知らず、その日だけを楽しみながら生きていた気楽な女子大生。それがわたしだった。

 幼い頃から物語が好きで、ゼミもサークルも文学漬けだった。専攻は英文学だったが、興味が動けばなんでもむさぼるように読んだ。

 学生時代の外国語の成績が良かったのは、翻訳ではなく原書が読みたくてたまらず、特に力を入れて勉強した結果だ。だから読解力は自信があるが話す方はそうでもない。「好きこそ物の上手なれ」という諺の典型だ。

 初めて体を許した男性も文学系サークルの先輩だった。彼の専攻は仏文学。背が高くて眼鏡をかけていて、優しい声で後輩のわたしに話しかけてくれた憧れの先輩。

 合宿と称した旅行に皆で行ったとき、酔った勢いでわたしの方から告白して付き合い始めた。

 何回目かのデートで、彼が猛プッシュしたフランスの恋愛映画を観に行った。素晴らしく青い空とラブシーンは綺麗だったが、肝心のストーリーは期待していたほど面白くなくて、ふたりとも黙ったまま映画館から出てくると、夕暮れの街に雨が降っていた。六月の終わり頃だったと思う。

 心の中までしっとり濡れてしまうような優しい霧のような雨。

 映画がつまらなかったことを、彼はわたしに本当に申し訳なさそうに謝ったけれど、わたしは彼と一緒なら幸せで映画なんかどうでも良かった。

 映画館の固い椅子に並んで座り、映画の途中で膝に置いた手をそっと握られたこと。どきどきして顔が熱くなって、たとえ名作だったとしても、彼の温かい手がわたしのすべてを包んでいたから、ストーリーなど何も覚えていなかっただろう。

 映画館の前で、雨が降っているのにそこだけ雲が切れて、見たこともないような透き通る青に暮れた西の空を、ふたりで眺めた。

「Le Ciel Bleu" ル・シェルブリュウ。映画と同じ空の色だね」
「ああ、本当。でもシェルブリュウってどういう意味ですか?」
「フランス語で青い空。英語ではブルースカイだけど、シェルブリュウの方がおんが良い」
「音が良い…素敵な表現だわ」

 彼の静かな声で発音される"シェルブリュウ"は、甘く転がすような響きでわたしの耳を心地良くくすぐった。

「冴夜。これからどうしようか?どこに行きたい?」

 優しい声で聞かれたとき、ふたりだけになれる場所でわたしを抱きしめて欲しいと小さな声で彼に言った。

 恥ずかしくて心臓が口から飛び出しそうなほどドキドキして、黙ってしまった彼にもう一度、わたしを抱いてと繰り返した。

 彼に肩を抱かれて雨の中を歩いた。傘は差していたのか、濡れた記憶がないから多分差していたのだろう。よく覚えていない。

 どこをどう歩いたのか、恥ずかしくてうつむいていた目を上げると、ホテルの入口に立っていた。

 中に入るとき、彼はわたしをかばうようにして好奇の目を向けてくる通行人から顔を隠してくれた。それまでの彼の動作のひとつひとつが、わたしを愛おしく切ない気持ちで満たして、胸が苦しくなった。

 肩を抱かれたまま部屋に入ってキスを受けた。服を脱がされ、生まれたままの姿でベッドに横たわる。またキスをされ、彼のくちびるが首すじをたどり、下がっていく。

 彼の熱い肌と、痺れるような指先の記憶。

 彼の腕で抱きしめられ、でも優しすぎてもの足りなくて、もっと強くと叫んだ。恍惚とした快感にふわふわと支えられ、恥ずかしくて幸せで、あえぎながら泣いた。

 足を開かされてから、彼の固いものが濡れたわたしを突き上げたとき、覚悟していたにも関わらず、想像以上のそれの大きさと激痛に、思わずうめいてしまった。

 しまったと思った瞬間、優しい彼はハッと気づいてからだを引き、わたしの中から彼のものを抜こうとした。

 彼はわたしを処女だと知らなかったのだ。

 いつも優しい彼に対してわたしはいつも積極的だったから、セックスなどすでに経験済みだと思っていたのかもしれない。

 体を起こそうとする彼の首に必死で抱きついた。お願い、やめないでと泣きながらささやいた。

 涙は、破瓜の痛みよりも優しすぎる彼の心がつらかったからだ。

 どんなに痛くても血が流れても、そんなことはどうでも良くて、彼とひとつになりたかった。わたしと彼が溶けてくっついて、体も溶け出して永遠にひとつになりたいと願った。

 わたしに抱きしめられた彼は動いてくれたが、その動きは躊躇があってぎこちなかった。わたしは相変わらず快感よりも痛みの方が大きかったけれど、彼のものを迎え入れていることが幸せで、抱きしめた彼の耳に、

「もっと強く突いて、壊れてもいいから強く」

 そう、ささやき続けた。

 痛みは消えなかったが、そのうち快感のようなものが生まれた。わたしはそれにしがみつくようにし、意識してあえぎ声を出したり感じているようなふりを続けていたら本当に感じてきた。

 彼の腰の動きと合わせ自分も動く。

 抱きしめて抱きしめられて、初体験のわたしには、狭い処女の穴いっぱいに、内蔵を押しのけるような感触のする男性自身で突かれて、大きくて固いそれをぎゅうっと締めつけ、懸命に快感をすくい上げる。わたしはまた泣いていた。

 快感がだんだん溜まっていき、わたしを高く持ち上げ始め、彼の動きが切羽詰まるように早くなる。ふたりで登っていくのを感じていると、体が勝手に痙攣し始めた。

 ずんと強く突かれて泣き叫んだ。彼が逝くと同時にわたしも逝ったらしい。

 今思えば本当に逝ったのかわからないけれど、初めてだったわたしは彼と同じ気分、同じ快感の中にいたかったから、彼が逝ってくれた最後までセックスできただけで幸せを感じていた。

 大好きだった彼。いつも優しい彼。

 彼のためならわたしのすべてを捧げられた。

 それなのに…。
 

 次第に、優しい彼がもの足りなくなった。

 わたしの欠点をすべて包み込んでくれ、何も言わずに優しく受け入れ続けてくれた彼に、わたしのわがままはエスカレートしていった。

 叱って欲しかったのに、手をあげても良かったのに、いつも優しく笑っている彼に、わたしは取り返しのつかないひどい仕打ちをした。

 他の男と寝たのだ。彼への当てつけのため、という最低の理由で。そしてそれを彼に告げた。

 彼の優しさとわたしへの気持ちを試したくて、叱って欲しくて、同じサークルの、何の魅力も感じない男を誘惑し、ホテルに入ってセックスした。

 その男とのセックスは、後ろめたさしか感じず、気持ちよくも何ともなかった。

 わたしがわざわざ彼に言わなくても、その男がわたしと寝たことを自慢して吹聴したので、いつかは彼の耳に入っただろう。

 でも彼はわたしを非難しなかった。

 叱ったり罵ったり叩いたりせずに、悲しい顔で、僕が悪かったねとポツリと言った。

 どうして怒らないのと叫んで詰め寄ると、きみのすべてが好きだから、と彼は言った。

 好きだから怒ることも叱ることもできない。きみが他の男と関係を持ったのは自分が至らなかったからだと言った。

 彼のその言葉を聞き、わたしは壊れた。

 人が見ている前で

「どうして!?怒ってよ!わたしを叱ってよ!」

 泣き叫んで彼の胸をつかんで叩いて…その場に泣き崩れた。

 泣いて泣いて、気づいたら彼はいなくなっていた。

 それから…彼に会うのをやめた。

 違う、会えなかった。

 会う勇気がなかった。

 わたしには顔を合わせる資格が無いから。

 サークルもやめてしまった。

 もう彼氏は作らないと決め、勉強に打ち込んだ。

 言い寄ってくる男はいたが、彼に比べたら霞んでしまい、その気にならなかった。

 寒かった冬が次第に温かく陽射しが春めいてきたと感じたある日、彼が自ら命を絶ったという知らせが入った。

 遺書には、ただ、こう書かれていたという。

「全部、僕が悪いのです」

 誰もわたしを責めなかった。

 責めないどころか慰めてくれた。

 悪いのは全部わたしなのに。

 彼が死んだのはわたしのせいなのに。

 責められないことが逆にわたしを苦しめた。

 おまえが悪いと誰かに言って欲しかった。

 悪いのは彼ではなく、わたしなのだから。

 全部、わたしが悪い。

 すべて、わたしのせいだ。

 わたしは彼に謝っていない。

 本当は謝りたかった。

 たとえ許してもらえなくても、生きている彼に謝りたかった。

 でも、会いに行く勇気が出ないまま時が過ぎ、彼は命を絶ってしまった。

 もう…謝ることもできない。

 わたしの罪は、許される機会を永遠に失った…。


「わたしは淫乱でいやらしくてどうしようもない最低の女なんだよ」

 長い話が終わり、車の中に静寂が戻った。

「彼を好きだったのに、誰よりも愛していたのに、その愛を試そうと傲慢になって馬鹿なことをして、彼を殺したのはわたしなんだ」
「それは違う」
「違わない。彼の優しさは今ならわかる。わたしのすべてを認めてくれて、すべてを許してくれる優しさ」
「それならどうして死んでしまったんですか」
「わたしがいけないんだ。わたしが悪いのに彼の優しさを責めて追い詰めてしまった」

 駄目だ。告白したのに楽になるどころか何も変わらない。逆にもっと胸が苦しくなった。心も戻ってこない。

「やっぱりあの時、わたしも死ねばよかった」
「何ですって」
「彼が死んだと聞いたとき、わたしも死のうと思った。何も悪くない優しい彼が死んで、最低のわたしが生きているなんて。でも、死ぬ勇気がなかった」
「自ら命を絶つのは勇気じゃない」
「もう疲れた。何もわからないよ」

 インターが近くなり、暗かった周囲の風景が明るくなった。ミユキは、静かに路肩に車を止めた。エンジンは掛けたままだ。

「どんなにつらくても生きていく。それが勇気です。あなたのように」
「どうかな。わからない。何もわからない」
「あなたは十分に苦しんだ。八年も一人でその苦しみを背負って生きてきた。あなた自ら、男に体を差し出し、自分をおとしめることで自分自身を罰してきたんだ」

 わかったような口にきき方にイライラが募る。

「年下のくせに、わかったような物の言い方をするじゃないか」
「年下でも言わせてください」
「わたしはただの淫乱なんだよ。セックス好きの…」
「失礼します」

 ミユキが、いきなりわたしの頬を平手打ちした。

 パンッと大きな音がした。その衝撃で、頭が真っ白になった。

 …叩かれた。ミユキがわたしを叩いた。

 叩かれた頬を押さえ、目を見開いてミユキを見つめる。

「淫乱淫乱と何度言ったら気が済む?セックス好きのどこが悪い?セックスしたくなったらいつでもオレが抱いてやる。どうしてあなたはいつも自分自身をはずかしめるんだ」
「ミユキ…」

 彼の言葉の一つひとつが鞭のようにわたしを打ちのめた。わたしの中の何かが崩れていく。

「心が無いなんて嘘だ。オレはあなたの体の中に繊細な心があるのを知っている。どうして自分を最低の女だと貶めるんですか」
「だって…」
「だってじゃない」

 叩かれた頬が腫れてヒリヒリしていた。しかしそんな痛みよりも、優しかったミユキに叩かれたショックから立ち直れない。

「オレはあなたを愛した。あなたほどの女はいない。どこにもいない。最高の女だ。それなのに、オレの最愛の女が最低の女だと言うんですか」
「そんな…過大評価だよ」
「どうしたんだ。あのクールでかっこいい女はどこに行ったんです」
「わたしは駄目な女なんだ」
「ああ、もう、しょうがない」

 いきなり顔を両手で挟まれた。ミユキの唇が強く押しつけられる。キスをされたまま、きつく抱かれて頭が朦朧となる。

「馬鹿なことを言う口はこうして塞いでやる」
「はあ…んっ」

 暴力的なキスが繰り返され、口の中に押し入ってきたミユキの舌にわたしの舌が絡めとられてしまい、思いっ切り吸われた。

「んんっ…」

 ミユキの手が胸に降りてきた。と思ったら、服の上から膨らみを強く掴まれた。痛みと快感が広がり、呻き混じりの喘ぎは、ミユキに激しい口づけに飲み込まれてしまう。

「あなたの心はここにある。初めからここにあるんだ。この愛しい体の中に。どこかに置き去りになどしていない」
「ううっ」

 胸のふくらみが鷲掴みに強く揉まれ続け、叩かれ叱られて感情が昂ぶり、涙がこぼれる。

「オレのことが好きですか?」
「…好きよ」
「愛していますか?」
「それは…うっ」
「愛してると言ってください」
「うっ、痛いっ、ミユキ」
「あなたが愛してると言うまでやめません」
「ああっ…」

 静かな声とサディスティックな愛撫に、激しく感じて悶えた。

「オレを愛していないならそう言ってください」
「そんなことは…」
「愛してくれているなら、愛していると」
「うっ…」
「さあ、言うんです。言えるはずだ。それがあなたの、自分自身への罰の終わりなんです」

 愛を認めることが…罰の終わり…。

 そうかもしれない。

 わたしは愛を遠ざけていた。

 愛してるなんて言われる資格も言う資格もないと。

 自分に素直になろう。この愛しい男を受け入れよう。

「ああっ、愛してる。ミユキ…きみを愛しているわ」

 痛みを伴う愛撫が唐突に止んだ。頬を涙が流れ落ちていく。

「もう一度言ってください」
「愛してるわ」
「オレもあなたを愛しています」
「わたしもきみを愛している」

 頬を撫でる指先が、涙の跡を優しく拭った。

「叩いてすみません。痛かったですね」
「…うん」
「気分が落ち着きましたか?」
「そうね…」

 さっきまでの激情が嘘のように消えていた。残っているのはミユキへの愛しい気持ちだけ。

「それで心は戻りましたか?」
「うん。多分」
「それは良かった」
「あ、それわたしの…」
「言ってみたかったんです」

 ミユキの顔が近づいてくる。目を閉じたら、優しいキスが唇に触れた。

「何だか、サヤさん可愛いです」
「え…」
「これからホテルに行って、あなたを抱いてもいいですか?」
「そんなこと…いちいち聞くんじゃない」

Epilogue〜ふたりの未来へ

 車がゆっくりスタートした。ヒーターで暖まった車内。静かな気持ちで考える。

 わたしの罪は消えない。しかし今は、それを背負って一緒に生きていく愛しい男がそばにいる。

 わたしは一人じゃない。優しい男は、わたしの全部を背負うと言った。

 わたしたちは二人一緒だ。どちらか一人だけではなく。だから、わたしもミユキのすべてを背負うことにしよう。とりあえずは…。

「ミユキ。公認会計士に戻りなさい」
「えっ」
「きみの自分探しの時間は終わりだよ。バーテンダーはわたしだけで十分」
「オレはお払い箱か…」
「きみには向いていない。ピアノは素敵だったけどね」
「…それは、オレと別れるという意味ですか?」
「そうじゃない。ぜんぜん違う。逆だよ」
「逆?」
「わたしたちの未来のために、きみに相応しい世界で生きて欲しいから」

 未来へ思いを馳せるなんて、今までのわたしには不可能だった。それができるようになったのは、この年下の男のおかげだ。この、愛しい男の。

「わたしたちの未来って…サヤさん。それは…オレのプロポーズを…」
「さあ。どうかしら」
「サヤさん」
「なに」
「もう一度言ってください」
「え…?」
「さっきの…」

 ああ、そんなことか。何度でも言う。可愛くて愛しいきみへ。

「愛しているわ。きみを心から愛している」


 𝑭𝒊𝒏


気に入っていただけたらサポートお願いします♪いただいたサポートは創作の活動費にさせていただきます