風水と金儲け、世のため、人のため、正直者はバカを見る!!
①コロナ不況、お金に困ってる
コロナでお店も政府も、お金の工面に
困ってますねえ。
ネオン街も学生も、困っています。
借金は、増えるばかりです。
今回は、お金について、考えてみましょう。
特に経営者にとっては、切実ですねえ。
しかし大丈夫、なんとかなります。
先人たちも、乗り越えてきたのだから・・・。
さて風水は、「環境と時と人」が三分の一
ずつ大切です。
間取りなどの環境ばかりでは、お金
という成功はあり得ません。
②二つの風水、お金はこちら
実は風水には、大きく分けて二つあります。
安全や安定を目的とする「住宅風水」と、
財運を目的とする「商業風水」です。
なので、ここでは、「商業風水」を
勉強しましょう。
商売も「人」なのですが、人として
あるべき姿を解く、
儒教の教えが邪魔をします。
「住宅風水」では矛盾のない儒教。
しかし、「商業風水」となると、
大いに矛盾が出てきます。
風水の基本である儒教は商業、つまり
財運には、役に立たないのでしょうか?
しかし、そんなことはないはず・・・。
先人は悩み苦しみ、答えを導いています。
③風水の基本、儒教と蓄財
そもそも儒教と蓄財は、相反する関係なのです。
儒教では、財産への執着を戒めています。
偉大な経営者、渋沢栄一が生涯、深く傾倒した
「儒教の教え」にも、財産について
否定的な見解がみられます。
「富をなせば仁であることができない。
仁をなせば富むことができない」、
と孟子はいいます。
“仁”というのは、慈愛(じあい)に近い
心の状態です。
しかし、自分の財産を殖やそうとする人は、
他の人を蹴落とし、奪おうと考えないと
商売が成り立ちません。
逆に、「博愛の人」というのは、蓄財と
いうことには、疎くなりがちなのです。
やはり、風水の基本である儒教と蓄財は、
相反する関係なのです。
皆さんも、そう思いませんか?
しかし、お金は欲しいですねえ。(笑)
世の中、なかなか、うまくいかないものです。
でも大丈夫、心配はいりません。
苦しくったって、悲しくったって、
人生なんとかなります。
④お金に対する、こだわり
さて、孔子自身も、こう語っています。
「財産や名誉は人が欲するものである。
だが、道理に外れて手に入れたのであれば、
そんなものに安住したくはない。
貧乏や不名誉は人が嫌うものである。
だが、道理にのっとっていてそうなって
しまったのなら、無理に逃れようとは思わない」
「不義によって富を得、地位を得るのは、
自分にとっては浮き雲のようにはかないものだ」
人は財産にこだわるとき、正しい道を
はずれてしまいがちです。
談合、賄賂、違法行為、利権、背任行為、
消費者金融の問題、
資金的に行き詰まった人たち……。
マスコミで取り上げるニュースの多くが、
お金に関わっているのは事実です。
事実、商売について考えるとき、どうしても
「損得」を考えなければいけません。
その思考は、ともすると謙譲や正直といった、
美徳を失わせる結果に、なることも多いのです。
それでは、いけませんねえ。
こだわりや執着は、捨てないといけません。
⑤江戸時代の金儲け
とはいえ、歴史は真実を物語ります。
江戸時代の儒教では、商業、商売、商人は
賤しい職業とされていました。
したがって、経済活動などは、儒教の教え
を重んじる武士には、まったく不要でした。
「富をなせば仁であることができない」
のだから、当然です。
その結果、貧乏な武士も多かったのです。
つまり、人としてあるべき姿なのです。
だから、誇り高く生きていました。
逆に裕福な商人などは、決して儒教の
教えを実践できない、
とまで言われていました。
つまり、商業は「賤しい職業」と見なされ、
商人は劣等感を抱えていたわけです。
だから、江戸時代の身分制度は、
「士農工商」の順になっていました。
儒教を尊重する武士が上位にあり、儒教を
無視する商人が、最下位に置かれたのです。
貧しくても、誇り高く生きていくか、
豊かでも、劣等感を感じて生きていくか・・・。
現代でも、言えそうな気がします。
⑥金儲けの達人、商人と武士
一方で、そのように「賤業(せんぎょう)」
と断言された商人は、開き直りました。
「それならば商売に倫理などは不要」、
とまで考えるように、なってしまいました。
財産を持つ者は、だれも正しい道が
実践できないというのなら、
商人に「論語」など関係ない。
金もうけに、道徳だの倫理だの精神性だのは
まるで不要、と考え始めてしまったのです。
実際、商売の世界には、
「損得の観念に疎い者、馬鹿正直では
必ずやり損なう」、
という格言まであったそうです。
そして武士は、商人からお金を貸して
もらう立場に、なり下がりました。
しかし、それでも、風水の基本である、
儒教を尊重する武士が上位にあり、
儒教の教えと最も遠い商人が、
最下位に置かれました。
明治に入ると、貧しいあまり、
娘を商人に売る元、武士も出てきます。
弱肉強食、残念ですが、それが事実です。
現代においても、言えることですねえ。
⑦正直者はバカを見る
さて、商売人のホンネとして、
「正直者はバカを見る」、ということが
定説としてあります。
現代でも言えそうですが、
明治時代にも、この江戸時代からの考え方は、
一般的に広まっていました。
三菱財閥の創始者、岩崎弥太郎の考え方も、
当時の世間一般の見方を、
代弁したものだったようです。
戦後の日本でも、この考え方は横行して
いたでしょう。
そして、このドサクサでうまくやったものが、
財産を築き上げました。
まさに、「倫理不要の商売」です。
人身売買も、あったくらいです。
しかし現代においてもなお、利益を上げる
ためには時として、
「客をだます」ようなことがあっても
仕方がない、といった考え方はあるでしょう。
そして残念ながら、いまだに一部の商売人の
ホンネでもあります。
そして、正直者はバカを見るのです。
ただし、「倫理不要の商売」で逮捕される
商売人、企業家、政治家は
歴史上、後を絶ちません。
つまり、罪があれば罰があるのは、自然の摂理。
儒教の教えを基本とする、風水にも叶っています。
やはり、悪事は長続きはしないのです。
⑧道理をもって得た、お金
それでは、どうすればいいのでしょうか?
財産を得ることは、悪いことなのでしょうか。
また、商売というのは道徳不要の、
アコギなものなのでしょうか。
明治の大経営者、渋沢栄一は考えました。
「そうではないはずだ」、と・・・・・。
孔子は、先ほど引用したとおり、
「財産や名誉は人が欲するものである。
だが、道理に外れて手に入れたのであれば、
そんなものに安住したくはない」、と語りました。
この句について、渋沢はこのように記しています。
「孔子の言わんと欲するところは、道理をもって
得た富貴でなければ、
むしろ貧賤(ひんせん)の方がよいが、
もし正しい道理を踏んで得たる富貴ならば、
あえて差し支えはないとの意である」
つまり、財産そのものが否定されるのではない。
その財産を得る方法や、あるいは使い方、
言い換えれば、財産を手に入れる動機が
問題なのだ、と渋沢は考えたのです。
⑨世の為、人の為、正しい金儲け
こうして、渋沢は「論語と算盤の一致」、
「経済道徳合一説」を説くようになりました。
つまり、儒教の教えを基本とする、
風水との整合性が付くのです。
「カネのためなら、どんな汚いことでもやる」
というのは、正しい商売の道ではありません。
もちろん、道理が伴わないような手段を
使って金持ちになるくらいなら、
貧しい方がいいのです。
しかし、富や財産そのものを、毛嫌いする
わけではありません。
むしろ、「道理にのっとっているならば、
富も名誉も大いに結構ではないか」、
というのが彼の理論なのです。
そこには罪がないので、罰もありません。
もちろん、儒教との矛盾もありません。
経営者のみなさん、世の為、人の為、
大いに儲けましょう。(笑)
儲からない方も、、正しく生きてるのなら、
貧しくてもいいのです。
「それでいいのだ♪、それでいいのだ♪」
こだわりや執着は、捨てましょう。
建築家・風水師 江口 希之
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