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【こんな映画でした】977.[Fukushima 50]
2021年 7月21日 (水曜) [Fukushima 50](2019年 日本 122分)
若松節朗監督作品。何かと批判される内容であり、その映画化。これだけの映画を作るには、一般に受け入れられる内容とせざるを得ないのは当然のことか。つまり事故は悲劇であったが、そこにいた彼らは頑張った、ということに。
そういう顕彰映画でもある。ラストシーンは吉田所長(渡辺謙)の葬儀で伊崎(佐藤浩市)の弔辞、そして桜のもとへ車を走らせ、桜の咲き誇る町の俯瞰で映画は終わる。
まるで戦時中の軍人たちの言動のようなシーンもある。観ていて堪えられない茶番ではあるが、当事者は必死だったろう。そこまで追い込んでしまった国家をはじめとした原発や営利企業などのシステムが、彼らをして愛国心に燃えさせてしまったのだ。
そういった意味でも、この映画は批判的に観ておくべきだろう。まったく観ずに掃き捨てるのはよくない。どういったものであれきちんと観て批判すべきだろうから。
出演している俳優は、今の日本の映画・テレビ界でのかなりの有名どころを動員している。女性の出番は少ないが。
お終いの方で吉田と伊崎が「何を間違えたのか」といった話をしている。根本的な話はこれだけであり、その後時間をおいて吉田に言わせている。「自然を嘗めていた。10メートル以上の津波は来ない、と」。これがせいぜいである。
本当の責任の所在は、曖昧にしたままで映画は終わらざるを得なかったのか。はたまた、最初からそこまで言及する気はない「万歳、よくやった映画」なのか。原作は読んでないのでそこまでは分からない。