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【こんな映画でした】470.[わが谷は緑なりき]

2020年 4月26日 (日曜) [わが谷は緑なりき](1941年 HOW GREEN WAS MY VALLEY アメリカ 118分)

 ジョン・フォード監督作品。モノクロ。舞台は19世紀末のイギリスというかウェールズの炭鉱のある「谷」。村の人々はほとんどこの炭鉱労働者であろう。主人公の家族も父親をはじめとして、最終的に6人の息子たちがいずれも炭鉱で働いている。姉のアンハード役のモーリン・オハラは撮影当時21歳だが、私には老けて見えた。

 男、男した映画ともいえるが、その中にアンハードの恋愛や息子の結婚などのエピソード。末っ子のヒューがこの兄弟の中で初めて学校に通うことに。お定まりだが、谷を越えて行った学校で生徒や教師から汚いなどとして差別と暴力を受ける。

 それでも負けずに行くのだが、教師のあまりの体罰の酷さに近所の元ボクサー(?)たちが、教師にやんわりと抗議をしに行くシーンは面白おかしくしてある。「暴力には暴力」ではいけないのだが、そこそこの実力行使は必要悪なのかもしれない。

 アメリカ映画ではあるが、炭鉱を描くものとしては避けられない事件・事故を扱っている。ストライキであり、坑内での事故。主人公の家の父親がスト破りと見られて窓ガラスを割られたりするシーンもある。

 おそらく13歳で学校を首席で卒業したヒューだが、父親の期待とは違い炭鉱夫になると意思を表明する。父親からしたら初めて学校に行かせ(お金も掛かったことだろう)、成績優秀なのだから将来は医者か弁護士に、と思っていたようだ。しかしヒューの方が、イギリスの階級社会について学校で骨身に沁みていたのだろう。断固として炭鉱夫に、と。そしてその通りに働くことに。大人に比べて、まだ身体ができてないこともあり、日給は彼の兄たちの半分くらいであった。

 この映画によると、毎日、終業時に日給をもらっている。要するに日雇いということであり、明日から来なくていいと宣告されることもあるようだ(兄二人がそうなっており、彼らは見限って外国へ行くことに)。

 そして最終的には、父親が事故で亡くなる。これで映画は終わりなのだが、さすがにこれだけでは後味が悪いので、生前の父親とヒュー、そして兄たちの姿を映像として映し出し、映画を終えている。

 この映画の構成としては、最初からこのヒューの50年後の述懐から始まり、最後もそのナレーションで終わっている。今、彼がどこにいるのかは分からない。ともかくかつてのその谷は、緑だったのだろう。今やボタ山で黒く汚れてしまっている。人の心も同様に。

 おしまいの方で牧師(ウォルター・ピジョン、撮影当時43歳くらい)が教会で最後の説教をするが、それが大胆な批判であり驚かされる。もちろんポイントを突いているわけだが。次の通り。

(103分~)(教会に参列している人たちに向かって)
「偽善者の上、卑怯者だ。皆さんの示された心の貧しさ。私の説教は空回りだったのだ。」
「ここに参列の皆さんは、何しにここへ? なぜ偽善に黒服を着せ、日曜ごとに教会に来る。愛からではない。その卑劣な心では、神の愛を受けられない。なぜ来るのか。諸君の顔を見ていれば、答えは明白だ。恐れからだ。迷信に惑わされた恐怖、天罰を恐れ、紅蓮の炎から逃れようと、神の怒りだけを気にする。イエスの愛を忘れ、彼の犠牲を無視する。死、恐怖、炎、天罰、黒い服、それだけだ。集会を開いても、神の名を借りるな。神とみ言葉に対する冒とくだ」

 それにしてもアメリカ人の監督が、イギリスのしかも炭鉱労働者のことを描くとは。今ならケン・ローチ監督を知っているので分かるのだが、その先駆ということになるか。大したものだ。また炭鉱労働者を描いた映画にマーク・ハーマン監督の[ブラス!](1996)がある。

 双葉十三郎『外国映画ぼくの500本』(2003年)によると、このジョン・フォード監督というのは、社会派というよりは人情派、と。「不況や貧しい生活といった社会的状況が基盤になっているが、社会派的ではなく、あくまで人情の角度からとらえているところがフォードらしく、感銘も深い。」(P.300)

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