【こんな映画でした】478.[或る終焉]
2022年12月31日 (土曜) [或る終焉](2015年 CHRONIC メキシコ/フランス 94分)
本年最後、267本目。ミシェル・フランコ監督作品。ショッキングな内容である。そして、その結末も。看護師をティム・ロス(撮影当時54歳)。
この監督を観るのも初めてだが、なかなか特色がある。固定カメラによる長回しや特異な視角(カメラアングル)、さらに説明をしない映像展開、等々。原題の意味は「しぶとい、常習的な、長引く、長期に渡る、病みつきの、慢性の、慢性的な」。
死を目前にした患者の最後のケアを請け負う会社に勤める、男性看護師デヴィッドが主人公である。ここでの患者は三例あり、エイズの女性(本当にやせ細っているが、どのようにして撮影したのだろうか。女優の紹介の写真ではそんなに痩せていないのだが)・脳卒中で倒れた男性、そして末期ガンで化学療法の苦しみに寄り添いながらもついに自死への道を選択する女性。*
一例目からしてショッキングであった。やせ細った中年女性の介護シーンは、なかなか大変である。入浴シーンもあるが、男性が女性の身体を洗うのである。セクハラというか、性的暴行などを介護施設などで聞くことのある現今、ハッとさせられる。
二例目は、急な脳卒中で身体が不自由となった男性、それもかなり高齢。自分で動けるようにリハビリをしていくのだが、そのプロセスでその老人がパッドで調べ物をするかと思いきや、ポルノを観るのであった。しかしデヴィッドはそれを制止せず、自由に観られるようにしてやっていた。そしてそれが老人の元気の素となるのだが、家族からは誤解されることになる。なんとセクハラで訴えるというのだ。これで彼は解雇されることになる。本人に寄り添う様は、例えばこの老人が現役の時は建築家だったとのことで、彼も本を買ってきて勉強するのだった。それほどなのに、である。
三例目は、解雇された後での仕事となる。化学療法の苦しみを赤裸々に描く。それでも医師は冷淡にも、その治療方法の継続を強く勧める。西洋医学は薬と手術だが、そもそもの大前提で間違っているとまでは言わないまでも、誤解・誤認識があると私は思う。体力を落とす化学療法・抗がん剤治療は、その人の生命力を奪ってしまう。その治療方法の過ちから彼女はついに自死をデヴィッドに依頼するのだ。一旦は断ったが、最後は彼女の望みを聞いてやることに。その薬物による心臓麻痺で彼女が死んでいくシーンは、これまた長回しである。これが法的に可能なものか、それには触れてない。しかしこの後、デヴィッドは交通事故死(あるいは自死か)してしまうことになる。
このデヴィッドの死であるが、それまでな何度か走るシーンが挿入されている。まずは二回ほどスポーツジムで。その後、路上を走るシーンを。ただ解雇された後、経済的に苦しくなったからかもしれないが、ジムでではなく路上を走る。これは彼が仕事上のストレス解消と体力の維持のためであったろうが、そのジョギングは、彼の死の伏線でもあったといえよう。
このような誠心誠意尽くす人間が報われることなく、死んでいかざるを得ないのは何ともやり切れない。離婚した妻と娘とのコンタクトもあるにはあったのだが。